荒井須賀神社。北本市荒井の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

荒井須賀神社。北本七福神の寿老人

荒井須賀神社の概要

荒井須賀神社は、北本市荒井にある神社です。荒井須賀神社は、牛頭天王社と称して天正年間(1573-1591)に創建、石戸郷から荒井村・石戸村・下石戸村・高尾村に分村した荒井村の鎮守社として祀られ、明治6年には村社に列格していました。北本七福神の寿老人です。

荒井須賀神社
荒井須賀神社の概要
社号 須賀神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 木花開耶姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊・倉稲魂命
境内社 -
祭日 例大祭6月30日・7月1日
住所 北本市荒井1-353
備考 -



荒井須賀神社の由緒

荒井須賀神社は、牛頭天王社と称して天正年間(1573-1591)に創建、石戸郷から荒井村・石戸村・下石戸村・高尾村に分村した荒井村の鎮守社として祀られ、明治6年には村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による荒井須賀神社の由緒

(荒井村)
浅間社
修験正明院の持
---
牛頭天王社
當村の鎮守なり、雙徳寺持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による荒井須賀神社の由緒

須賀神社<北本市荒井一-三五三(荒井字中岡)>
『埼玉県地名誌』によれば、鎮座地の荒井は、古くは新井とも書き、開墾集落を意味する地名であるという。江戸期、隣接する諸村との間で、秣場をめぐる論争が長期間にわたって続いた。元禄十年(一六九七)の「秣場論所裁許状」(矢部家文書)によれば、その原因は、かつて当村・石戸村・下石戸村・高尾村の四か村が一村であったのを分村し、村境が複雑になったためであるという。ここでいう一村とは中世の石戸郷を指すと思われるが、分村の時期については不明である。
当社は旧荒井村の北端に鎮座している。江戸期は社名を牛頭天王社と号していたことから、現在も地元の人々から「天王様」と通称されている。『明細帳』には「創立ハ天正年間(一五七三-九一)ナリト棟札アリシカ去ル明治十一年二月火災ニ罹リ焼失ス」とあり、創建を天正年間と伝えている。『風土記稿』荒井村の項には「牛頭天王社 当村の鎮守なり 双徳寺持」とある。別当の双徳寺は、川田谷村(桶川市川田谷)天台宗泉福寺末で千手山慈眼院と号した。
神仏分離後、双徳寺は廃寺となり、当社は社名を須賀神社と改め、明治六年四月に村社に列した。明治十一年二月には、社殿が焼失したが、同年中に再建された。その後、社殿が老朽化したため、昭和五十七年に現在の社殿が建立された。(「埼玉の神社」より)

境内掲示による荒井須賀神社の由緒

須賀神社は、天正年間(一五七三~一五九一年)の勧請と伝えられ、「荒井の天王様」とも呼ばれている。
明治六年、荒井村村社に列せられ、大正年間には、村内の浅間社・橿城神社・神明社等を合祀しており、祭神は、素戔嗚尊の他・木花開耶姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊・倉稲魂命等が祭られている。
祭事は、節分祭(二月三日)・夏祭(七月十四日~十六日)・冬至祭(十二月二十二日)で、特に夏祭は、神輿・山車が出て盛大に行なわれる。(埼玉県・北本市掲示より)


荒井須賀神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)