石戸氷川神社。北本市石戸の神社

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石戸氷川神社。北本市石戸の神社

石戸氷川神社の概要

石戸氷川神社は、北本市石戸にある神社です。石戸氷川神社の創建年代等は不詳ながら、寛文十三年(一六七三)の社殿造立を記した棟札が残されており、江戸時代前期には上下石戸村の鎮守として祀られていたのではないかといいます。明治6年村社に列格、大正6年大字下石戸上字北原の愛宕社、須賀社、大字下石戸下字二ツ家の稲荷社二社、字向郷の八雲社、字久保の琴平社の計六社を書類上合祀しています。

石戸氷川神社
石戸氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 北本市石戸6-79
備考 -



石戸氷川神社の由緒

石戸氷川神社の創建年代等は不詳ながら、寛文十三年(一六七三)の社殿造立を記した棟札が残されており、江戸時代前期には上下石戸村の鎮守として祀られていたのではないかといいます。明治6年村社に列格、大正6年大字下石戸上字北原の愛宕社、須賀社、大字下石戸下字二ツ家の稲荷社二社、字向郷の八雲社、字久保の琴平社の計六社を書類上合祀しています。

新編武蔵風土記稿による石戸氷川神社の由緒

(下石戸上村)
氷川社
上下石戸村の鎮守なり、村内修験楊門院の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による石戸氷川神社の由緒

氷川神社<北本市石戸六-七九(下石戸字本村)>
当社は、『風土記稿』下石戸上村の項に、「氷川社 上下石戸村の鎮守なり、村内修験楊門院の持」とある神社である。創建の時期は不明であるが、本殿の中には寛文十三年(一六七三)の社殿造立を記した棟札が納められているため、その頃には既に鎮守として祀られていたことがわかる。また、本殿の軒には延享三年(一七四六)の墨書のある馬の図の絵馬が掛かっている。
『風土記稿』の記事に見られるように、江戸時代には地内の楊門院という本山派修験の寺院の管理下にあった。神仏分離の後は、楊門院の管理を離れ、明治六年に村社になった。一方、楊門院は廃寺となったが、僧は小古瀬武知と名乗って復飾し、神職になった。同家は、屋号を「奥津院」といい、武知の後も定之助・武広・光広と代々神職として当社に奉仕してきたが、光広の代に神職を辞めた。
明治の末、政府の合祀政策に従い、多くの無格社が合祀されていった。当地では、大正六年に至って大字下石戸上字北原の愛宕社、須賀社、大字下石戸下字二ツ家の稲荷社二社、字向郷の八雲社、字久保の琴平社の計六社が当社に合祀されたことが『明細帳』に見える。しかし、これらの諸社は合祀後もそのまま旧地に社殿が残され、従来通りの祭りが行われている。こうした状況から、明治以降も、上石戸の人々の間では、これらの小祠の信仰が厚かったことが伺える。(「埼玉の神社」より)


石戸氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)