横田薬師堂。北本市石戸宿にある仏教寺院
横田薬師堂の概要
仏教寺院の横田薬師堂は、北本市石戸宿にある薬師堂です。横田薬師堂は、薬師如来像の安置にさいして 宝暦2年(1752)川越の宮大工により建立されたといいます。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | 北本市石戸宿7丁目 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
横田薬師堂の縁起
横田薬師堂は、薬師如来像の安置にさいして 宝暦2年(1752)川越の宮大工により建立されたといいます。
新編武蔵風土記稿による横田薬師堂の縁起
(石戸宿村)
薬師堂二
共に村持。(新編武蔵風土記稿より)
「北本市史民俗編」による横田薬師堂の縁起
横田の薬師堂は『郡村誌』に載っている二宇の薬師堂のうちの「村の北にあり」とある方の薬師堂と思われる。
(中略)
昭和三十七年十一月に建てられた「薬師堂改修記念碑」には、「薬師堂は江戸時代中期宝暦二年九月御本尊薬師如来の安置に際し、武州川越の住、宮大工星野入右エ門重春の作とあり、間口二間、奥行ニ間半、草葺の堂宇と、間口三間、奥行二間半の庫裡は遠く江戸時代より幾星霜を経て、漸く類廃著しく、茲に地区民相計り、今後公会堂として改修使用致すべく、祖先の霊眠る墓地関係者はもとより、広く区内一般の努力により、本堂草葺屋根を瓦葺に、庫裡を亜鉛葺に改修す」とある。
薬師堂墓地は、明治初期に各家の屋敷地近辺にあった個人墓地を寄せ集めて造られたものという。(「北本市史民俗編」より)
横田薬師堂の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「北本市史民俗編」