今城青坂稲實池上神社。児玉郡神川町関口の神社

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今城青坂稲實池上神社。延喜式神名帳所載の論社

今城青坂稲實池上神社(神川町)の概要

今城青坂稲實池上神社(神川町)は、児玉郡神川町にある神社です。今城青坂稲實池上神社(神川町)は、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている「今城青坂稲実池上神社」に比定される社の一つで、神亀元年(724)の創建ではないかといいます。当地一帯は阿保村に含まれていましたが、分村の際に鎮座していた丹生社を当地関口の鎮守としたといい、池上神社や関口の丹生様とも呼ばれています。丹生の呼称は、領主安保氏の祖先が大和国丹生川上神社を勧請したからだと伝えられ、明治維新後に現社号に改めています。

今城青坂稲實池上神社(神川町)
今城青坂稲實池上神社(神川町)の概要
社号 今城青坂稲實池上神社(神川町)
祭神 淤迦美神、豊受毘賣命、罔象女神・埴安姫命
相殿 -
境内社 蚕影社、愛宕・諏訪・八坂、疱瘡・稲荷・八幡・菅原
祭日 -
住所 児玉郡神川町関口38
備考 -



今城青坂稲實池上神社(神川町)の由緒

今城青坂稲實池上神社(神川町)は、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている「今城青坂稲実池上神社」に比定される社の一つで、神亀元年(724)の創建ではないかといいます。当地一帯は阿保村に含まれていましたが、分村の際に鎮座していた丹生社を当地関口の鎮守としたといい、池上神社や関口の丹生様とも呼ばれています。丹生の呼称は、領主安保氏の祖先が大和国丹生川上神社を勧請したからだと伝えられ、明治維新後に現社号に改めています。また、地名関口は、安保領一三か村の用水(安保用水)の堰口に位置することから名づけられたといいます。

新編武蔵風土記稿による今城青坂稲實池上神社(神川町)の由緒

(賀美郡關口村)
丹生明神社
村の鎮守なり、光徳寺持、社地に東照宮の御宮あり、
末社。稲荷、疱瘡神 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による今城青坂稲實池上神社(神川町)の由緒

今城青坂稲実池上神社<神川町関口三八(関口字池上)>
関口は神流川右岸に位置している。地名は、安保領一三か村の用水(安保用水)の堰口に当たることに由来するという。
当社は、関口の小名の一つである池上に鎮座している。その境内地は台地の端にあり、西方の低地には水田が開かれている。
『延喜式』神名帳に見える賀美郡四座のうちの「今城青坂稲実池上神社」の比定社の一つとされ、『風土記稿』では「丹生明神社」とある。
その由緒は『明細帳』によると、創立年月は不詳であるが、当社は延喜式内当国四十四座の一つである今城青坂稲実池上神社であると言い伝える。往古は阿保村と一村であった時、六所社と丹生社が同村にあったが、天正五年(一五七七)三月の分村の際に丹生社を本村の鎮守と定め、今の地に遷し祀ったという。当社の社号はもとの領主でった安保氏の祖先が大和国丹生川上神社をこの地に遷し祀ったので丹生社と称するという。一方『郡村誌』によれば、延喜式内小社の今城青坂稲実池上神社と言い伝え、勧請は神亀元年(七二四)二月のことであるという。以下は『明細帳』と同様で、阿保村から分村の際に丹生社を遷し祀った旨が記されている。
別当は真言宗光徳寺で、丹生山延命院と号し、中興開山広重は寛文三年(一六六三)の没という。同寺は明治六年に廃寺となった。(「埼玉の神社」より)


今城青坂稲實池上神社(神川町)の周辺図