長坂聖天塚古墳。児玉郡美里町関にある旧跡・名所
長坂聖天塚古墳の概要
長坂聖天塚古墳は、児玉郡美里町関にある古墳です。長坂聖天塚古墳は、児玉郡美里町にある諏訪山古墳群の一つです。江戸時代には当地に聖天社が祀られていたことから、聖天塚と呼ばれ、昭和49年の発掘調査により古墳であることが確認されました。埼玉県内にある古墳としては初期の古墳で、埼玉地方での豪族の存在等を知る上で重要だといいます。
旧跡・名所名 | 長坂聖天塚古墳 |
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住所 | 児玉郡美里町関2044-1 |
みどころ | 埼玉県指定旧跡の古墳 |
備考 | - |
長坂聖天塚古墳の縁起
長坂聖天塚古墳は、児玉郡美里町にある諏訪山古墳群の一つです。江戸時代には当地に聖天社が祀られていたことから、聖天塚と呼ばれ、昭和49年の発掘調査により古墳であることが確認されました。埼玉県内にある古墳としては初期の古墳で、埼玉地方での豪族の存在等を知る上で重要だといいます。
埼玉県教育委員会掲示による毘沙門堂の縁起
美里町周辺の丘陵には、多数の古墳が見られる。山崎山丘陵の西裾には諏訪山古墳群があり、長坂聖天塚古墳はその一つである。昭和49年に発掘調査を行ない、次のような事実を確認した。
墳丘は、自然の丘を整形し、1mほど盛り土をして墳頂部をつくり。あわせて高さ4.5m、直径50mの規模にした円墳である。埋葬施設は、粘土槨三、木棺直葬三の六か所がある。仿製方格規距鏡が出土した粘土槨は長さ7m、幅0.7mもあった。
遺物は、仿製方格規距鏡、獣形鏡、鉄製の刀子・直刀片、ガラス製小玉、滑石製の勾玉・刀子・有孔円板・臼玉などで、これらから古墳の築造年代は、五世紀前半と考えられている。
鏡をはじめとする優秀な副葬品は、この古墳の被葬者が志戸川流域を支配した権力者であったことを推定させる。
県内では初期古墳の代表的なもので、この地方の古墳の発生を知る上で重要である。(埼玉県教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による聖天社の縁起
(関村)聖天社
末社。稲荷。(新編武蔵風土記稿より)
長坂聖天塚古墳所蔵の文化財
- 長坂聖天塚古墳(埼玉県指定旧跡)
長坂聖天塚古墳の周辺図