光明寺。国指定文化財の阿弥陀如来像、児玉三十三霊場
光明寺の概要
真言宗豊山派寺院の光明寺は、白岩山光明寺と号します。光明寺の創建年代等は不詳ながら、当寺本尊の阿弥陀如来像に「武州児玉郡新里矢庭光明寺」と永仁3年(1295)の刻銘があることから、鎌倉時代末期に阿弥陀如来像が光明寺に納められており、鎌倉時代末期には創建していたことが明らかとなっています。なおこの阿弥陀如来像は、室町期には丹党の旗頭新里四郎光明が守護仏として信仰したとも伝えられ、国指定文化財となっています。児玉三十三霊場28番霊場です。
山号 | 白岩山 |
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院号 | - |
寺号 | 光明寺 |
住所 | 児玉郡神川町新里1828 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光明寺の縁起
光明寺の創建年代等は不詳ながら、当寺本尊の阿弥陀如来像に「武州児玉郡新里矢庭光明寺」と永仁3年(1295)の刻銘があることから、鎌倉時代末期に阿弥陀如来像が光明寺に納められており、鎌倉時代末期には創建していたことが明らかとなっています。
「児玉郡誌」による光明寺の縁起
青柳村大字新里字上宿(郡内小平成身院末)
真言宗豊山派 白岩山 光明寺
一、本尊 阿彌陀如来
一、由緒 不詳、本尊の背面に永仁三年八月十五日と刻めり、又境内鐘樓の梵鐘には安永八年の紀銘あり、而も右本尊は大正二年八月二十日文部省より古社寺保存法第四條に依り國寶の資格あるものと認定せられたり。境内七百四十九坪(「児玉郡誌」より)
新編武蔵風土記稿による光明寺の縁起
(新里村)
光明寺
新義眞言宗、那賀郡小平村成身院末、白岩山と號す、本尊は彌陀なり
愛宕社
薬師堂
地蔵堂
鐘樓。安永八年の鑄造なり、(新編武蔵風土記稿より)
光明寺所蔵の文化財
- 銅造阿弥陀如来立像(国指定彫刻)
銅造阿弥陀如来立像
この仏像は、高さ四十八・八センチメートル銅造丸吹き鍍金で、面相が損傷しているが、その背面下方の衲衣の上に「武州児玉郡新里矢庭光明寺定永仁三、八、一五 栄賢 幸賢」の刻銘があって、永仁三年(一二九五)、鎌倉時代の造立であることが知られる。
これは、中国、朝鮮を渡り関東平野守護のため光明寺に安置され霊験あらたかだといわれ、室町時代には、武蔵七党で名高い丹党の旗頭新里四郎光明が守護仏として信仰していたといわれる。
明治四十五年に本尊彩色の折に、木造として安置されてきたものが金仏であることを発見したために、その由を届出、古社寺保存法第四条により大正二年国指定となる。(神川町教育委員会掲示より)
光明寺の周辺図