大瀧山幸春院。阿保肥前守忠実創建、埼玉県史跡の六地蔵塔
幸春院の概要
曹洞宗寺院の幸春院は、大瀧山道雲寺と号します。幸春院は、阿保肥前守忠実(建武3年1336年没、法名幸春院眞應實道)が創建、その後興國舜玉(永禄4年1561年寂)が中興したといいます。当寺に安置されている六地蔵塔は、石灯籠の形をした石幢で、六角柱の龕部の各面に地蔵菩薩が彫られたもので、極めて希少価値が高く埼玉県史跡に指定されています。
山号 | 大瀧山 |
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院号 | 幸春院 |
寺号 | 道雲寺 |
住所 | 児玉郡神川町関口40-1 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
幸春院の縁起
幸春院は、阿保肥前守忠実(建武3年1336年没、法名幸春院眞應實道)が創建、その後興國舜玉(永禄4年1561年寂)が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による幸春院の縁起
(賀美郡關口村)
幸春院
禅宗曹洞派、比企郡唐子村浄空院末、大瀧山道雲寺と號し、本尊釋迦を安ず、當寺元応二年三月安保肥前守忠實の建立なり、忠貫法名幸春院眞應實道と號す、建武三年の人の事跡は元安保村城跡の條に言へり、開山詳ならず、中興の僧興國舜玉永禄四年八月十一日寂す、客殿に忠貫の位牌あり、又境内に古き塔あり、六面にして各面に地蔵をほり臺石に□□権律師□□文亀三癸亥卯月佛生日と鐫れり、いと古色のものなり、権律師は當寺世代の僧なるべけれど、名字摩滅して詳ならず、いづれ供養の爲に立しものと見ゆ、
天神社、白山社(新編武蔵風土記稿より)
「児玉郡誌」による幸春院の縁起
丹荘村大字關口字池上(本縣比企郡唐子村浄空院末)
曹洞宗 大瀧山道雲寺 幸春院
一、本尊 釋迦如来
一、由緒 當寺は元應二年三月阿保肥前守忠實の建立なり、忠實法名幸春院眞應實道と號す、建武三年十二月十六日卒す、開山詳ならず、中興の僧興國舜玉・永禄四年八月十一日寂す、開創以来數回焼失、現今の堂宇は明治六年中再建せしものなり。境内四百三十六坪。(「児玉郡誌」より)
幸春院所蔵の文化財
- 幸春院六地蔵塔(埼玉県指定史跡)
幸春院六地蔵塔
幸春院六地蔵塔は、石灯籠の形をした石幢で、六角柱の龕部の各面に地蔵菩薩の浮彫がみられることから六地蔵塔と呼ばれている。
幢身の中央には、高さが二四センチメートル、幅が六センチメートルほどの穴があり、横から軸棒を差し込む仕組みになっている。かつてはここに円盤状の車石がはめ込まれていた。この車石を念仏をとなえながら回すことによって、諸願がかなえられると伝えられている。
下から基礎は青色、幢身は白色、中台は茶色、龕部は黒色、笠は白色、相輪は青色で各部ごとに色の異なる石が用いられている。高さは約一・八五メートルである。
基礎の各面には種子を配し、東面の薬師如来の梵字の両脇に文亀三年(一五〇三)を含む銘文が刻まれており、戦国時代の作であることがわかる。
なお、この石幢は、造立当初からこの場所にあったのではなく、もとは近くの辻にあったといわれている。(神川町教育委員会掲示より)
幸春院の周辺図