常光神社。鴻巣市常光の神社

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常光神社。旧称氷川社、文安元年頃に勧請

常光神社の概要

常光神社は、鴻巣市常光にある神社です。常光神社の創建年代は不詳ながら、江戸時代の当社願主の棟札によると、文安元年(1444)頃に勧請されたと考えていたようで、江戸期には氷川社と称し、村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、大正2年には神饌幣帛料供進神社の指定を受けていました。昭和26年常光神社と改称しています。

常光神社
常光神社の概要
社号 常光神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 八雲神社、三峰神社
祭日 例祭4月3日頃
住所 鴻巣市常光933
備考 -



常光神社の由緒

常光神社の創建年代は不詳ながら、江戸時代の当社願主の棟札によると、文安元年(1444)頃に勧請されたと考えていたようで、江戸期には氷川社と称し、村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、大正2年には神饌幣帛料供進神社の指定を受けていました。昭和26年常光神社と改称しています。

新編武蔵風土記稿による常光神社の由緒

(上常光村・下常光村)
氷川社
村の鎮守なり、社内に寛永二年の棟札をかく、其文に本願主大旦那河野五郎左衛門・同七郎兵衛・同庄右衛門云々、末に永禄十二己巳年迄百廿六年に至るとあり、是をもて推せば文安元年に及べり、さあらんには舊き勧請なること知べけれど、外に證とすべきものはなし、西福寺の持なり、
末社。天王社
(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による常光神社の由緒

常光神社<鴻巣市常光九三三(常光字蓮沼耕地)>
常光は、古くは「常香」とも書いたといい、地名の由来については、その昔、源頼朝が鴻巣領別所村に無量寿院を草創したころ、当地及び隣接する花野木村を花香料に付したことにちなむとの伝えがある。
当社は、この常光の鎮守として祀られてきた社で、元来は「氷川社」と称していたが、当時の村長の発案により、昭和二十六年七月二十五日付で村名を採って「常光神社」と社号を改めた。しかし、氏子の間では、今でも通称として当社を「氷川様」と呼ぶ人が少なくない。
常光村は、江戸時代の初期には一旦、上・下の二つに分かれ、明治七年に再度合併したが、上・下両村の村境は交錯してはっきりと分けることのできない状況であった。『風土記稿』も「○上常光村○下常光村」として一項に扱っており、当社については「氷川社 村の鎮守なり、社内に寛永二年(一六二五)の棟札をかく、其文に本願主大旦那河野五郎左衛門・同七郎兵衛・同庄右衛門云云、末に永禄十二年己巳年(一五六九)年迄百廿六年に至るとあり、是をもて推せば文安元年(一四四四)に及べり、さあらんには旧き勧請なること知るべけれど、外に証とすべきものはなし、西福寺の持なり」と載せている。
神仏分離の後は、西福寺の管理を離れ、明治六年に村社となった。更に、大正二年十月には、幣殿・拝殿を新築するとともに覆屋を改築し、翌月には神饌幣帛料供進神社の指定を受けた。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


常光神社の周辺図