人形八幡神社。鴻巣市人形の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

人形八幡神社。宇佐八幡宮を勧請

人形八幡神社の概要

人形八幡神社は、鴻巣市人形にある神社です。人形八幡神社は、金剛院の僧海栄(元禄3年1690寂)が宇佐八幡宮を勧請して元禄元年(1688)金剛院境内に創建したといいます。

人形八幡神社
人形八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 八坂神社、浅間神社
祭日 -
住所 鴻巣市人形4-1-31
備考 -



人形八幡神社の由緒

人形八幡神社は、金剛院の僧海栄(元禄3年1690寂)が宇佐八幡宮を勧請して元禄元年(1688)金剛院境内に創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による人形八幡神社の由緒

(上谷新田)
八幡社
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淺間社
近き頃信仰の者小き塚を築き、上にこの社をたつ、塚の下にも小社を建、是を下淺間社とよべり(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による人形八幡神社の由緒

八幡神社<鴻巣市人形四-一-一八(鴻巣字新田)>
神谷新田は中山道沿いの新田集落で、正保年間(一六四四-四八)以前に上谷村から分村したという。
江戸期の当社は『風土記稿』上谷新田村の項を見ると、浅間社・天王社・稲荷社と共に、金剛院の境内に祀られていたことがわかる。金剛院は京都智積院末の真言宗の寺院で、中興の海栄が元禄三年(一六九〇)に没したと伝えている。当社はこの海栄によって勧請された社で、「八幡社存置ニ付願(写し)」によれば、創立は文禄元年(一五九二)八月十五日で、海栄が豊前宇佐八幡社に参拝して分霊を頂戴し、その帰途神灯をともし続け、当地に奉斎したという。
当社は神仏分離により金剛院の管理下から離れ、社格制定に際しては無格社とされた。明治四年に下谷新田村は下上谷村と共に上谷村に合併となり、それ以前から上谷村の鎮守であった氷川神社が村社に列した。その後の政府の合祀政策により当社を村社氷川神社に合祀する旨の諭達があったことから、氏子により再三協議が持たれた。その結果、合祀を回避するため、明治四十一年二月二十五日付で社掌伊藤保・氏子惣代酒巻竜次郎・関口国太郎・石井源次郎の連盟で、北足立郡役所に先の「八幡社存置ニ付願」が出された。この願いは聞き届けられた模様で、合祀を免れて、現在に至っている。
祭神は誉田別命で、本殿には騎乗の八幡大明神像を奉安している。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


人形八幡神社の周辺図