平方女帝神社。越谷市大字平方の神社

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平方女帝神社。越谷市大字平方の神社

平方女帝神社の概要

平方女帝神社は、越谷市大字平方にある女帝神社です。平方女帝神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代には平方村南組・横手組で祀っていたといいます。明治政府の合祀政策により、明治45年平方浅間神社に合祀されたものの、凶事が続いたことから合祀を解消、昭和8年旧社地へ還座、昭和42年に社殿を再建しています。

平方女帝神社
平方女帝神社の概要
社号 女帝神社
祭神 伊弉冉命、神功皇后
相殿 -
境内社 八坂神社、御嶽・天満宮・金毘羅・青面金剛
祭日 お備射1月12日、八坂祭7月14日
住所 越谷市大字平方25-1
備考 -



平方女帝神社の由緒

平方女帝神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代には平方村南組・横手組で祀っていたといいます。明治政府の合祀政策により、明治45年平方浅間神社に合祀されたものの、凶事が続いたことから合祀を解消、昭和8年旧社地へ還座、昭和42年に社殿を再建しています。

新編武蔵風土記稿による平方女帝神社の由緒

(平方村)
女體社
西光寺の持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による平方女帝神社の由緒

女帝神社<越谷市平方二五-一(平方字南)>
口碑によれば、当社は往古から平方村南の里鎮守として祀られてきた神社であるといい、伊弉冉命と神功皇后の二柱が祭神である。その霊験あって、祖先より氏子の生活や健康は、他の地に比して豊かであったが、社格が無格社であったため、明治四十五年七月五日、政府の合祀政策に従って村社の浅間神社に合併されることとなった。氏子らは本意ではなかったが、時の流れには逆らいきれず、やむなく神体の石像は人力車に乗せて浅間神社へ運び、境内はさつま芋畑にすることと決まったため、立派な本殿は白鳥鴻一家の裏山に運んで朽ちるに任せ、拝殿は移設して消防器具置場とした。
ところが、この合祀の後、氏子の間にはどういうわけか夭逝する婦人や経済的に悲運に見舞われる家が多くなった。一方、当社を合祀した浅間神社も大正六年十月一日に火災を起こして全焼し、当社の神体も台座だけが残るという状況であった。そのため「これは神の思し召しにかなわぬ事ぞ」と、氏子一同協議の結果、旧社地に仮宮を作り、昭和八年四月十日に浅間神社から焼け残った神体の台座を奉遷した。
こうして女帝神社は再興され、氏子の生活も合祀前のような状態に戻った。更に、昭和四十二年十二月十五日には、氏子の宿願であった社殿の再建も果たすことができた。また、これを機に、神像の本体も新しく作って奉納され、芋畑になっていた辺りには杉が植林された。(「埼玉の神社」より)


平方女帝神社の周辺図