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伊原久伊豆神社。越谷市川柳町の神社

伊原久伊豆神社の概要

伊原久伊豆神社は、越谷市川柳町にある久伊豆神社です。伊原久伊豆神社の創建年代等は不詳ですが、伊原村が成立した江戸時代初期に鎮守社として創建したといい、明治4年村社に列格していました。

伊原久伊豆神社
伊原久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 誉田別尊
合祀 -
境内社 猿田彦社、八坂社、天神社、古峰社、御嶽社
祭日 -
住所 越谷市川柳町2-196
備考 旧伊原村鎮守、旧村社



伊原久伊豆神社の由緒

伊原久伊豆神社の創建年代等は不詳ですが、伊原村が成立した江戸時代初期に鎮守社として創建したといい、明治4年村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による伊原久伊豆神社の由緒

(伊原村)久伊豆社
村の鎮守なり、成就院の持
末社。天王、天神。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による伊原久伊豆神社の由緒

伊原は、綾瀬川左岸に位置する農業地域で、『埼玉県地名誌』によればその地名は開墾を意味する「イバル」からの転靴であるというが、地元には地名に関する伝えは特にない。村の開発の時期も定かではないが、地内にある成就院は、元和年間(一六一五~二四)に真言宗の修行僧永誉の開創と伝えることから、江戸時代の初期には既に村落が形成されていたものと推測できる。
当社の創建も、恐らくは、村の開発と相前後して行われたものと思われる。本殿の中には、神璽筥のほか、石棒三体と享保十二年(一七二七)と寛政四年(一七九二)の棟札が納められており、この棟札の年紀かち当社の創建を享保十二年とする説もあるが、化政期(一八〇四~三〇)に七五戸の家数を有する村に発達していた伊原に享保年間に至るまで村の鎮守とする社がなかったとは考えにくいため、享保の社殿道立は、従来の社殿を鎮守にふさわしい立派なものに建て直したものと見た方がよいと思われる。
また、当社の名称も、享保の棟札では「久伊豆権現」、寛政の棟札では「正一位久伊豆大権現」となっていることから、この間に極位を受けたことがわかる。更に、二枚の棟札には別当として成就院の名が記されており、神仏習合のころの祭祀状況の一端がうかがえる。神仏分離後、当社はこの成就院の管理を離れ、明治四年に村社となった。(「埼玉の神社」より)


伊原久伊豆神社の周辺図


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