増林香取神社。護郷神社に合祀されたものの復祀
増林香取神社の概要
増林香取神社は、越谷市増林にある香取神社です。増林香取神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には増林の下組で祀られ、宝蔵院が別当を勤めていました。明治維新後の社格制定に際し当社は村社とされたものの、大正2年に浅間社(護郷神社)に合祀されてしましました。合祀後も祭祀が続けられ、昭和20年代に合祀を解除しています。
社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主命 |
相殿 | - |
境内社 | 天満宮、稲荷神社、秋葉神社 |
祭日 | - |
住所 | 越谷市増林4232 |
備考 | - |
増林香取神社の由緒
増林香取神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には増林の下組で祀られ、宝蔵院が別当を勤めていました。明治維新後の社格制定に際し当社は村社とされたものの、大正2年に浅間社(護郷神社)に合祀されてしましました。合祀後も祭祀が続けられ、昭和20年代に合祀を解除しています。
新編武蔵風土記稿による増林香取神社の由緒
(増林村)
香取社二宇
一は寶蔵院、一は村民の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による増林香取神社の由緒
香取神社<越谷市増林四二三二(増林字下前)>
増林は、北東は古利根川に限られ、古い集落は古利根川の自然堤防上に連なる。その集落は、上組・中組・下組の三つの村組に分かれ、当社は下組の鎮守として崇められている。
『風土記稿』増林村の項には、浅間社が村の鎮守として載り、香取社は二社あり、一社は宝蔵院持ち、もう一社は村民の持ちとある。本殿に奉安の金幣に卍紋があり、更に、明治二十七年の棟札の寄附連名の中に「宝珠山宝蔵院」の名が見えることから、宝蔵院持ちの香取社が当社を指すと考えられる。この宝蔵院は、下総国葛飾郡清水村金乗院の末寺で、開山祐範は延宝四年(一六七六)に没している。当社は、下総国一宮香取神宮を勧請したであろうことから、その創建には、下総国の寺院と本末関係にある宝蔵院がかかわった可能性が高い。
当社は、明治初年の神仏分離を経て、社格制定に際して村社となった。一方、古くから鎮守であった浅間社は無格社とされた。しかし、大正二年には、浅間社に当社をはじめとする村内の諸社が合祀されて護郷神社が成立した。その後、下組の人々は、旧社殿と旧境内を保存する一方、合祀を解いて再び一社として独立させるための努力を重ねてきた。この願いは、昭和二十四年に実り、昭和三十五年に覆屋を、同四十五年に幣殿・拝殿を再建し、更に同五十二年に境内に下組農民センターを新築し、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
増林香取神社の周辺図