東福寺。岩槻渋江氏の支族須賀若狭守が開基
東福寺の概要
真言宗豊山派寺院の東福寺は、小林山と号します。東福寺は、岩槻渋江氏の流れを汲む須賀若狭守が開基となり、咸尊和尚が文永年間(1264-75)に開山、快春(延宝7年1679年寂)が中興したといいます。武蔵国八十八ヶ所霊場27番、関東九十一薬師霊場27番です。
山号 | 小林山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 東福寺 |
本尊 | 虚空蔵菩薩像 |
住所 | 越谷市東越谷1-12-21 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東福寺の縁起
東福寺は、岩槻渋江氏の流れを汲む須賀若狭守が開基となり、咸尊和尚が文永年間(1264-75)に開山、快春(延宝7年1679年寂)が中興したといいます。
埼玉県・越谷市掲示による東福寺の縁起
東福寺は真言宗の寺で山号を小林山と称し、寺伝によると文永年間(一二六四〜七五)咸尊和尚による開山で、開基は岩槻渋江氏の流れを汲む須賀若狭守といわれている。
寺内には、元徳三年(一三三一)、正慶元年(北朝年号一三三二)、元弘三年(南朝年号一三三三)、応安元年(一三六八)の弥陀三尊板碑などが保存されている。
この地は古くは下総国新方庄小林といい、元荒川を境に武蔵国と下総国にわかれている。ここは元荒川が花田を迂廻して流れた曲流地点にあたり、自然堤防が特に発達して砂丘となっていた所である。
なお当寺は昭和三十七年に火災で消失、現在の本堂は同四十三年に再建されたものである。もとは東福寺の境内やその周囲には松の大木が生い茂り、東福寺の秋月とうたわれて明治初期の越谷八景の一つに数えられていた。
境内に立って宅地を見おろすと、今でも砂丘の面影を偲ぶことができる。(埼玉県・越谷市掲示より)
新編武蔵風土記稿による東福寺の縁起
(小林村)東福寺
新義真言宗、瓦曽根村照蓮院末、小林山と號す、中興僧快春延寳七年正月化す、本尊虚空蔵。
鐘楼。寛政三年の鐘をかく。
薬師堂。(新編武蔵風土記稿より)
東福寺の周辺図