観照院。当地を開発した会田七左衛門政重が開基
観照院の概要
真言宗豊山派寺院の観照院は、日映山と号します。観照院は、七左衛門村(七左町)・腰巻(新川町)・大間野(大間野町)などを開発した会田七左衛門政重(法名日映観照)が開基、尊慶が開山となり元和2年(1616)に創建、僧宥辨が承応3年(1654)中興したといいます。武蔵国八十八ヶ所霊場21番です。
山号 | 日映山 |
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院号 | 観照院 |
寺号 | - |
住所 | 越谷市七左町5-282 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観照院の縁起
観照院は、七左衛門村(七左町)・腰巻(新川町)・大間野(大間野町)などを開発した会田七左衛門政重(法名日映観照)が開基、尊慶が開山となり元和2年(1616)に創建、僧宥辨が承応3年(1654)中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による観照院の縁起
(七左衛門村)観照院
新義真言宗、末田村金剛院末、日映山と號す、開山尊慶又僧僧宥辨承應三年中興せり、開基は當村を開墾せし會田七左衛門にて、其法名日映観照と云を以て、山號寺號とす、本尊は弥陀を安ず。
鐘楼、明和三年鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)
観照院所蔵の文化財
- 木造会田七左衛門夫婦坐像(越谷市指定有形文化財)
木造会田七左衛門夫婦坐像
会田七左衛門政重像は、像高六十・五cm、妻の像は、像高五十四cm。ともに寄木造りである。七左衛門政重は観照院の開基で、市内でこのような像が残っているのは珍しい例である。
夫婦とも剃髪、道服姿(僧衣)で、夫は指を組み、妻は指をのばして、ともに合掌している。絵画作品を見るような落ち着きを持った像である。画像が個性的なことから、没年の寛永十九年(一六四二)からまもなく、夫婦の徳を追慕して像立されたものと思われる。
会田七左衛門は天正九年(一五八一)の生まれで、元和年間(一六一五〜二四)に関東郡代伊奈氏に仕官し、当時市内出羽地区のうち沼沢地帯であった七左衛門(七左町)・腰巻(新川町)・大間野(大間野町)などの地を新田に開発した。このうち七左衛門村の村名は会田七左衛門の名を取って付けられたものである。
当寺本堂に安置されている。(越谷市教育委員会掲示より)
観照院の周辺図