浄音寺。宇田長左衛門が開基
浄音寺の概要
浄土宗寺院の浄音寺は、解脱山保鐘院と号します。浄音寺は、宇田長左衛門が開基、解脱阿存保(文禄3年1594寂)が開山となり創建、西方山蓮華院浄音寺と号していたといいます。徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には寺領10石の御朱印状を受領、解脱山保鐘院浄音寺と改めたといいます。
山号 | 解脱山 |
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院号 | 保鐘院 |
寺号 | 浄音寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 越谷市大成町6-427-1 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄音寺の縁起
浄音寺は、宇田長左衛門が開基、解脱阿存保(文禄3年1594寂)が開山となり創建、西方山蓮華院浄音寺と号していたといいます。徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には寺領10石の御朱印状を受領、解脱山保鐘院浄音寺と改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による浄音寺の縁起
(見田方村)浄音寺
浄土宗、京都智恩院末、解脱山保鏡院と稱す、元は西方山蓮華院浄音寺と云、天正十九年より寺領十石を賜ふ。開山解脱阿存保文禄三年十月十五日示寂、開基は宇田長左衛門と云、法諡卒年を失ふ、されど傳燈総系譜、存保は、武州足立郡人姓宇田氏大相模浄音開山たるよしをのす、因て思ふに長左衛門は、存保の一族にて、力を合せ當寺を建立せしなるべし、又名主圭蔵も宇田氏なれば、是等の子孫なるべけれど、其詳なることを傳へず、本尊は阿彌陀を安ぜり。
鐘楼。近年の鋳造なり。
八幡社。(新編武蔵風土記稿より)
浄音寺の周辺図