善宗寺。領主内藤正成が菩提所として創建
善宗寺の概要
浄土宗寺院の善宗寺は、國豊山天龍院と号します。善宗寺は、天正18年(1590)に当地の領主となった旗本内藤正成(天龍院殿源譽善宗居士)が菩提所として創建、了蓮社覺譽が開山したといいます。慶安2年(1649)には寺領50石の御朱印状を受領した大寺でした。
山号 | 國豊山 |
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院号 | 天龍院 |
寺号 | 善宗寺 |
住所 | 久喜市菖蒲町下栢間2639 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善宗寺の縁起
善宗寺は、天正18年(1590)に当地の領主となった旗本内藤正成(天龍院殿源譽善宗居士)が菩提所として創建、了蓮社覺譽が開山したといいます。慶安2年(1649)には寺領50石の御朱印状を受領した大寺でした。
新編武蔵風土記稿による善宗寺の縁起
(栢間村附持添新田)
善宗寺
浄土宗、京都智恩院末、寺領五十石は慶安二年十月十七日御朱印を賜ふ、國豊山天龍院と號す、開基は地頭四郎左衛門正成が草創にて、今に菩提所となせり、正成法名は天龍院殿源譽善宗居士と稱す、開山は了蓮社覺譽なり、本尊阿彌陀を安ず、
秋葉社
天神社
阿彌陀堂
觀音堂
鐘樓。延寶五年八月、大旦那内藤外記正重、寄附の鐘をかく、(新編武蔵風土記稿より)
善宗寺所蔵の文化財
- 善宗寺の嘉永三年銘宝篋印塔及び宝塔記碑(久喜市指定有形文化財)
善宗寺の嘉永三年銘宝篋印塔及び宝塔記碑
善宗寺は、江戸時代、菖蒲領五か村(栢間村、戸ヶ崎村、新堀村、三箇村、小林村)に五千石の知行地を有した旗本内藤氏の初代正成により開かれた浄土宗の寺院で、歴代内藤家の菩提寺である。
嘉永三年(一八五〇)銘の宝篋印塔は、内藤家の支配形態をよくあらわしており、家老(齋藤為右衛門藤原保定)、陣屋詰用人(辻健左衛門源元重・同人息辻好三郎源保晃)・割元・僧侶・用人妻・割元母の発願者十四名、五か村の名主・年寄・組頭・問屋・百姓など一二九人の世話人によって、天下泰平・武運長久等を願い建てられたもので、その由緒が宝塔記に記されている。
本宝篋印塔は、全国的に見ても大型の部類に属し、最上部の相輪部が一部欠けているものの、推定総高は約五七〇センチメートルある。
宝塔記碑は、辻健左衛門と息子好三郎が同年奉納したもので、高さ一九〇センチメートル・幅一〇〇センチメートルある。(久喜市教育委員会掲示より)
善宗寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」