稲荷木伊奈利神社。熊谷市銀座の神社
稲荷木伊奈利神社の概要
稲荷木伊奈利神社は、熊谷市銀座にある伊奈利神社です。稲荷木伊奈利神社の創建年代等は不詳ながら文明18年(1486)以降の創建といい、昭和19年には村社に列格していたといいます。
社号 | 稲荷木伊奈利神社 |
---|---|
祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市銀座3-46 |
備考 | - |
稲荷木伊奈利神社の由緒
稲荷木伊奈利神社の創建年代等は不詳ながら文明18年(1486)以降の創建といい、昭和19年には村社に列格していたといいます。
「埼玉の神社」による稲荷木伊奈利神社の由緒
伊奈利神社(熊谷市銀座三一四六(熊谷字と通))
熊谷市街地の一角をなす銀座に鎮守する当社は、稲荷木伊奈利神社という名で人々に知られている。この「稲荷木」という言葉については、はっきりとした伝えはないが、鎮座地周辺の古称と見られており、当社の創建とも深いかかわりがあると思われる。当社はまた、白鬚伊奈利神社とも呼ばれるが、そのいわれはわからず、祭神も倉稲魂命一柱であり、白鬚神社を合祀した記録もない。
『明細帳』によれば、当社の建立は文明十八年(一四八六)以降のことで、宝永元年(一七〇四)八月、洪水により流失し、同年に再建したと伝えられる。
明治の初め、無格社となったが、その後、昭和十九年九月に村社に昇格したのもつかの間、翌二十年八月の空襲で街もろとも全焼してしまった。
太平洋戦争後、奇跡的ともいわれる復興によって、熊谷の街も戦前に劣らないにぎやかさを見せているが、当社の再建もまた、こうした街の復興と歩調を合わせるかのように進められてきた。終戦直後、粗末な仮宮がぽつりと建てられているだけであった境内に、まず、昭和二十五年に社務所が再建され、同二十八年に稲荷神社から現行の伊奈利神社へ社名を改め、同三十四年七月には念願の本殿・拝殿の再建が果たされ同四十七年には鳥居も再建されて現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
稲荷木伊奈利神社の周辺図