伊奈利神社(原島)。原島村小名前原島の鎮守
伊奈利神社(原島)の概要
伊奈利神社(原島)は、熊谷市原島にある伊奈利神社です。伊奈利神社(原島)の創建については不詳ながら、原島村小名前原島の鎮守社だったといい、明治6年村社に列格したといいます。
社号 | 伊奈利神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市原島1331 |
備考 | - |
伊奈利神社(原島)の由緒
伊奈利神社(原島)の創建については不詳ながら、原島村小名前原島の鎮守社だったといい、明治6年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による伊奈利神社(原島)の由緒
(原島村)
天王社
前原島の鎮守とす、吉祥寺の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による伊奈利神社(原島)の由緒
伊奈利神社(熊谷市原島一三三一-一(原島字伊奈利))
『風土記稿』原島村の項にも「三島社 小名今泉の鎮守なり、稲荷社 前原島の鎮守とす、天王社 窪ヶ谷戸の鎮守なり、天神社 以上四社吉祥寺の持」と記されているように、古来、原島には鎮守が三社あり、それぞれ別の廓(村組)の人々によって祀られてきた。当社は、右の文にあるように、前原島の鎮守であり、三社のうちで規模が最も大きく、氏子数も一番多かったことなどの理由から、明治六年九月には原島村の村社になっている。
当社の由緒については、『明細帳』には「創立不詳」とあり、氏子の間にも創建にまつわる話は何も伝わっていない。ただし、本殿には、神璽と共に伏見稲荷から当社別当の吉祥寺に宛てた分霊証書が納められており、その日付が安永四年(一七七五)四月二十七日となっていることから、江戸時代の中期には既に現在のような姿で祀られていたものと推測される。
村社になってからもその祭祀状況には大きな変化はなく、全国的に合祀政策が実施された時期にも他の無各社を合祀するということはなかった。これは、古くからの伝統を重んじると同時にお互いを尊重し合うという原島の住民の気風の表れでもあろう。また、そうした気風のためか、太平洋戦争の終結後も、信仰心の衰退などによる荒廃もなく、厚い敬神の念に支えられて現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
伊奈利神社(原島)の周辺図