平塚新田八幡神社。江戸時代中期に開発された平塚新田村の鎮守
平塚新田八幡神社の概要
平塚新田八幡神社は、熊谷市平塚新田にある八幡神社です。平塚新田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、享保18年(1733)の検地により成立した平塚新田村の鎮守として祀られ、明治7年には村社に列格していました。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市平塚新田508 |
備考 | - |
平塚新田八幡神社の由緒
平塚新田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、享保18年(1733)の検地により成立した平塚新田村の鎮守として祀られ、明治7年には村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による平塚新田八幡神社の由緒
(平塚新田)
八幡社
村の鎮守なり、村民持、下並同じ、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による平塚新田八幡神社の由緒
八幡神社<熊谷市平塚新田五〇八(平塚新田字前原)>
当地の地名である平塚は、『風土記稿』によると、草原の中に塚があったことに由来するとあり、地内の薬師堂には、村内の古塚より掘り出した矢鏃を納めたことが載る。また、昭和二十年ごろまでは、地内に三基の古墳があり、このうち最も大きな古墳は大塚山と呼ばれていた。
鎮座地は、八幡山と呼ばれる小高い所にあり、周辺は赤松林に囲まれ大変趣がある。
創建は、江戸中期に当地が万吉村から分村したころと伝えている。当初、この村は平塚新田と呼ばれていたが無高の反高場であり、享保十八年(一七三三)、筧播磨守が検地して貢税を定め一村として認められるようになった。
当社は、古くから「赤旗八幡」と呼ばれている。また、これに対して明治四十一年四月、当社に合祀された原新田の八幡神社は、「白旗八幡」と呼ばれていた。この赤旗と白旗の名称については、古老の話によると、平氏と源氏の子孫が祀る神社であることから社名に冠したとする伝承と、当地と原新田の開発が同時期で、祀る神社も同じ八幡神社であったことから両村の村人がお互いに区別するため社名に冠したという伝承がある。なお、合祀された白旗八幡の本殿は、現在、原新田集会所(旧観音堂)に置かれている。(「埼玉の神社」より)
平塚新田八幡神社の周辺図