万吉氷川神社。武蔵国一の宮氷川神社を勧請
万吉氷川神社の概要
万吉氷川神社は、熊谷市万吉にある氷川神社です。万吉氷川神社の創建年代等は不詳ながら、武蔵国一の宮氷川神社を勧請して創建したものと考えられ、江戸期には万吉村の鎮守社として祀られ、明治初年村社に列格していました。明治42年、八幡社が鎮座していた当地へ遷座、八幡社ほか7社を合祀しています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | 誉田別命、大己貴命、豊城入彦命、大山祇命、大日孁貴命 |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市万吉986 |
備考 | - |
万吉氷川神社の由緒
万吉氷川神社の創建年代等は不詳ながら、武蔵国一の宮氷川神社を勧請して創建したものと考えられ、江戸期には万吉村の鎮守社として祀られ、明治初年村社に列格していました。明治42年、八幡社が鎮座していた当地へ遷座、八幡社ほか7社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による万吉氷川神社の由緒
(萬吉村)
氷川社
村の鎮守なり、土人一宮と唱ふ、社内に圍み一丈餘の古松あり、見性院持、
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大天魄社
福性院持下同じ、
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稲荷社
八幡社
赤城社
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神明社
千手院持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による万吉氷川神社の由緒
氷川神社<熊谷市万吉九八六(万吉字前平塚)>
万吉は既に鎌倉期から見える郷名で、貞応三年(一二二四)正月二十九日の新田尼譲状に「春原庄内万吉郷間事」とある。地名の由来については、牧の当て字とするもの、条里制に基づく牧津里から起ったとするもの、荒川に沿った曲り地がなまったもの、更にはマゲチはケチの転訛で、マケチのケチは立ち入ると不祥事が起こるとされるとするものがある。
『風土記稿』万吉村の項に、当社は「氷川社 村の鎮守なり、土人一宮と唱ふ、社内に囲み一丈余の古松あり、見性院持」と載る。これに見える「一宮」とは、武蔵国一の宮氷川神社を指すと思われ、当地の開拓に際し、氷川の神を氏神と祀る一族が当社を奉斎したものであろう。一の宮は、平安初期から鎌倉初期にかけて出現した一種の社格であることから、土人の伝えも当社の創建の古さを誇示するものと考えられる。別当見性院は天正年間(一五七三-九二)の開山である。
明治初年の神仏分離により見性院の管理下を離れた当社は、村社となり、更に明治四十二年に字前平塚の無格社八幡神社に移転し、地内にあった七社の無格社と共に八幡神社を合祀し、現在に至っている。ちなみに移転前の社地は、字一本松と呼ばれる所で、その参道の入口は秩父・小川・熊谷線に面した友成士十家の前で、古くは幟立てがあり、ここから一キロメートル余りにわたって参道が延びていたという。(「埼玉の神社」より)
万吉氷川神社の周辺図