妻沼台白山神社。男沼と女沼の中間地
妻沼台白山神社の概要
妻沼台白山神社は、熊谷市妻沼台にある白山神社です。妻沼台白山神社の創建年代等は不詳ながら、男沼を向く女沼白髪神社と女沼を向く男沼神明社の中間に位置、男沼神と女沼神の憩いの地だとも伝えられます。江戸期には、蔵王権現社と共に台村として祀られ、明治41年曾登神社と改称した蔵王権現社を合祀しています。
社号 | 白山神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | 曾登神社 |
祭日 | 2月風祭り、3月春祭り、7月八坂祭、10月秋祭り |
住所 | 熊谷市妻沼台331 |
備考 | - |
妻沼台白山神社の由緒
妻沼台白山神社の創建年代等は不詳ながら、男沼を向く女沼白髪神社と女沼を向く男沼神明社の中間に位置、男沼神と女沼神の憩いの地だとも伝えられます。江戸期には、蔵王権現社と共に台村として祀られ、明治41年曾登神社と改称した蔵王権現社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による妻沼台白山神社の由緒
(台村)
白山社
蔵王権現社
以上二社、共に村の鎮守にて、圓満寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による妻沼台白山神社の由緒
白山神社<妻沼町台二七九(台字大明神)>
台は、利根川の自然堤防上にあり、周囲よりやや高い所である。伝説では「昔、妻沼に女体様が、男沼に男体様が住んでおられた。この二神は夫婦神で仲睦まじく、男体様が女体様を訪ねられる時は、女体様が途中にある高台の当地まで出迎えられ、お帰りは見送られて、この高台を休み台に別れを惜しまれていた。それから当地を台と呼ぶようになり、また男体様の社は東向きに、女体様の社は西向きに把られ、当社は両社の中間にあって南向きに祀られている」という。女体様は白髪神社、男体様とは神明社のことであろう。
『風土記稿』は「白山社、蔵王権現社、以上二社、共に村の鎮守にて円満寺持」と載せている。この白山社が当社のことで、蔵王権現社は中島にあり、明治初期に曾登神社と改称し、明治四十一年に当社に合祀している。ちなみに、円満寺は天文三年(一五三四)、僧良栄の創建との伝えがある。
口碑によると、古くは当社内陣に、青い小さな像が祀られていたが神仏分離調査の折に持ち去られたという。また、本殿の下に大きな石が据えられていて、これが昔の神体であるとも伝えている。
曾登神社は、当社に合祀され境内に祀られているが、一方、旧地でも権現様と呼んで跡地に社殿を建て、古くからの神像を祀り現在に至っている。この神像は室町初期の作と推定される蔵王権現像である。(「埼玉の神社」より)
妻沼台白山神社の周辺図