渡唐神社。旧樋口村と旧春野原村の鎮守
渡唐神社の概要
渡唐神社は、熊谷市三本にある渡唐神社です。渡唐神社の創建年代等は不詳ながら、「天神が唐に渡って座禅を学んだ」とする禅宗で広めていた思想で、地内の天台宗泰平山地蔵院安穏の住職が創建したと伝えられます。三本村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格していました。
社号 | 渡唐神社 |
---|---|
祭神 | 大日孁貴命、誉田別命、別雷命、大山祇命、大斗辺命(大山祇命)、倉稲魂命、天兒屋根命 |
相殿 | - |
境内社 | 厳島神社、八坂神社、順海神社、三峰神社、駒形明神 |
祭日 | 順海祭2月2日、春日待4月3日、秋日待10月19日 |
住所 | 熊谷市三本717 |
備考 | - |
渡唐神社の由緒
渡唐神社の創建年代等は不詳ながら、「天神が唐に渡って座禅を学んだ」とする禅宗で広めていた思想で、地内の天台宗泰平山地蔵院安穏の住職が創建したと伝えられます。三本村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による渡唐神社の由緒
(三ツ木村)
唐渡明神社
安穏寺持、村の鎮守なり、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による渡唐神社の由緒
渡唐神社<江南町三本七一七(三本字中屋敷)>
当社の創建は、別当であった地内の天台宗泰平山地蔵院安穏寺の法印により行われたと伝える。
社名である「渡唐」の字義については、室町時代に禅宗の学僧が学問の祖と崇めた天神を、己が根本真理の禅の教えと結びつけ、「天神が唐に渡って禅を学んだ」という思想を広めたことに由来する。当時、各地の禅宗寺院では、道服をつけて頭巾をかぶり、手に梅と笏を持った唐様の天神画像が描かれ、これが人々に「渡唐天神」「渡唐明神」などと呼ばれた。別当安穏寺は、天台宗であるにもかかわらず禅宗系の神である渡唐天神を祀ったのは、時流によるもので、長い時を経る問、宗派を超えて伝播した結果なのであろう。ちなみに、県域においても北河辺町本郷の鷲神社末社天満宮は、渡唐天神の御影を祀り、別当密蔵院は、真言宗当山派修験であった。
明治元年、安穏寺は神仏分離により別当としての職を離れ、同寺住僧の弟子「順誠」が復飾し、三本左京と改名して当社の祀職を務めることとなった。以後、篠場豊盛・関口安廣・福島長隆・玉川清人・小柴保・小柴仁一郎と続き、現在、小柴捷子が奉仕している。小柴家は安穏寺住僧の流れをくみ、当社に古くからゆかりある家である。(「埼玉の神社」より)
渡唐神社の周辺図