大栄神社。五社稲荷神に諸社を合祀
大栄神社の概要
大栄神社は、熊谷市大麻生にある浅間神社です。大栄神社は、大麻生村に鎮座していた五社稲荷神社に、八荒神社・天神社(二社)・駒形神社・浅間神社を大正2年に合祀、大栄神社と改称したといいます。
社号 | 大栄神社 |
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祭神 | 倉稲魂命・大己貴命・大田命・大宮姫命・大市比賣命 |
相殿 | - |
境内社 | 合祀社 |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市大麻生454 |
備考 | - |
大栄神社の由緒
大栄神社は、大麻生村に鎮座していた五社稲荷神社に、八荒神社・天神社(二社)・駒形神社・浅間神社を大正2年に合祀、大栄神社と改称したといいます。
新編武蔵風土記稿による大栄神社の由緒
(大麻生村)
稲荷社。上郷の鎮守なり、村持
八荒神社。中郷の鎮守とす、持同じ(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大栄神社の由緒
大栄神社(熊谷市大麻生四五四(大麻生字西川原))
当社は大正二年、五社稲荷神社に、八荒神社・天神社(二社)・駒形神社・浅間神社の五社を合祀し、大栄神社と改称した。合祀の中心となった五社稲荷神社は元来、大麻生村上郷の鎮守で、明和三年(一七六六)に伏見稲荷より神璽を受けている。「五社」とは『明細帳』によると倉稲魂命・大己貴命・大田命・大宮姫命・大市比賣命である。
合祀社のうち、八荒神社は、かつての大麻生村中郷の鎮守で寛政六年(一七九四)の棟札が現存する。この社には神楽殿が附属し、屋台も備わっていたといわれ、規模の大きな社であったことをうかがわせる。
また、天神社二社は、一社が当時の大麻生村全体の鎮守であり、文政三年(一八二〇)に「当所子供中」により奉納された幟が残されている。もう一社の天神社は字西川原に鎮座していた小祠である。
更に駒形神社は、「胴木様」の通称で中郷の人々により祀られていた社で日本武尊が境内の欅の大木に駒をつないだとの話が伝えられていた。浅間神社は、字西川原の浅間塚と呼ばれる盛り土に祀られていた社であった。
これらの内、五社稲荷神社と八荒神社の別当は、真言宗稲荷山宝蔵寺で、社人を当山派修験泉学院(現斎藤家)が務めた模様である。
なお、合祀に際して、八荒神社の本殿・神楽殿・屋台・天神社の拝殿、浅間神社の盛り土及び覆屋が当社に移された。(「埼玉の神社」より)
大栄神社の周辺図