千代飯玉神社。豊受姫命を祀る社
千代飯玉神社の概要
千代飯玉神社は、熊谷市千代にある飯玉神社です。千代飯玉神社の創建年代等は不詳ながら、広い水田・杜の中の社殿・社殿前の池、の配置から、太古より祭祀が行なわれてきたのではないかと推測されています。江戸期には千代村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際して明治4年村社に列格していました。
社号 | 飯玉神社 |
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祭神 | 豊受姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂神社、天満神社、三峰神社 |
祭日 | 春日待4月15日、秋日待10月17日 |
住所 | 熊谷市千代625 |
備考 | - |
千代飯玉神社の由緒
千代飯玉神社の創建年代等は不詳ながら、広い水田・杜の中の社殿・社殿前の池、の配置から、太古より祭祀が行なわれてきたのではないかと推測されています。江戸期には千代村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際して明治4年村社に列格していました。
境内掲示による千代飯玉神社の由緒
飯玉神社
飯玉神社の創立は、文禄四年(一五九五年)十一月伊奈備前守検地の際、社地として除くと記されていることから相当古いと思われるが、沿革は不詳、祭神は豊受比賣命である。
昔から飯玉明神と称せられ、広く各地に信者がおり、厚く信仰されている。
本殿の建物は大破風向千鳥唐破風向拝造欅材屋根鱗葺、拝殿は大破風流造向拝付屋根瓦葺である。
また、社前に古池があるが、これを「里唱御池」という。この池の中の魚類はすべて片眼であると伝えられ大切に飼育されていたが水量の少なくなった現在では、魚類はあまり見られない。
この池は、昔からお池と敬称されこの社に参拝する氏子崇敬者の憩の場となって親しまれている。(埼玉県掲示より)
新編武蔵風土記稿による千代飯玉神社の由緒
(千代村)
飯玉明神社
本地十一面觀音を安ず、伊奈備前守が文禄度の検地に、社地を除きたりと云、村の鎮守なり、村持、
(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による千代飯玉神社の由緒
飯玉神社<江南町千代六二五(千代字北方)>
当地には、古墳後期の千代古墳群、同期の窯跡、また縄文期の集落跡があり、古くから生活の営まれた所である。
口碑に、古い創建という当社は、周りを広い水田に囲まれ、社殿後方を杜とし、前方に「お池」と呼ばれる沼を配して、太古の祭祀を偲ばせるものがある。
社名の飯玉は、穀霊を表している。飯は炊いた米であり、玉は魂・霊である。また、祭神を豊受姫命と伝えるが、『延喜式』の祝詞「大殿祭」に「屋舟豊宇気姫命、是は稲の霊にます」とある。
当社は、古代において耕作した稲穂を献じ、これを炊いて頂く、いわゆる新嘗の祭りが行われた場所ではなかったであろうか。「了集解」儀制令の古記に、村ごとに神社があり、中央の祈年祭、新嘗祭に倣って春秋に田を祭っている、との記事があり、古代に稲作が各地へ広まると同時に、村ごとに神社を祀り、祭りが行われていたことが知られる。当社の創建は、社名や近くの遺跡、また田を潤す沼などから、古代にまでさかのぼると考えられる。
旧社務所には、古い膳が三二謄残されていた。これは昭和四十年代まで春秋の日待の直会に使われたもので、箱書きに「寛政四年六月二十八日、膳作三ツ木村源太夫」とある。この膳は、昔の祭り、直会の姿を物語っているようである。(「埼玉の神社」より)
千代飯玉神社の周辺図