三島神社伊豆神社合殿社。熊谷市下川上の神社

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三島神社伊豆神社合殿社。熊谷市下川上の神社

三島神社伊豆神社合殿社の概要

三島神社伊豆神社合殿社は、熊谷市下川上にある伊奈利神社です。三島神社伊豆神社合殿社の創建年代は不詳ながら、江戸期には下川上村の鎮守社だったといい、明治5年村社に列格したといいます。

三島神社伊豆神社合殿社
三島神社伊豆神社合殿社の概要
社号 三島神社伊豆神社合殿社
祭神 事代主命、軻遇突智命
相殿 -
境外摂社 -
祭日 -
住所 熊谷市下川上32
備考 -



三島神社伊豆神社合殿社の由緒

三島神社伊豆神社合殿社の創建年代は不詳ながら、江戸期には下川上村の鎮守社だったといい、明治5年村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による三島神社伊豆神社合殿社の由緒

(下川上村)三島明神社
村の鎮守なり。村持、下同じ(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による三島神社伊豆神社合殿社の由緒

伊豆神社三島神社合殿<熊谷市下川上三二(下川上字本屋敷)>
事代主命と軻遇突智命を祀る当社は、のどかな田園風景の広がる下川上の南部に鎮座している。当社の東には愛染明王を祀る愛染堂が隣接しており、神仏習合時代の面影がうかがわれる。当社の創建については、「昔、大飢饉があり、食べるものに不自由した時、村人が恵比須・大黒様を祀ったことに始まる」との伝えがあり、そうした経緯を反映してか、現在も豊作の神として氏子の信仰が厚い。
一方、『風土記稿』は、当社について「三島明神社 村の鎮守なり村持」と載せており、その記述からは、当時は合殿ではなかったようにも思われる。しかし、右の伝えにある「大飢饉」は天明年間のものと推測されていることや、『明細帳』にも「往古ヨリ三島神社伊豆神社合祭セリ」とあること、更に本殿が古くから二間社であることなどから、当社は相当早くから合殿であったものと考えてよいであろう。
明治五年、当社は村社となり、同四十一年に、字中内出の無格社熊野神社と字御嶽の無格社八坂神社を合祀した。ところが村の中に病気がはやるなど、あまり良いことがなかったので、拝んでもらったところ「神様が元の所から動かないからだ」ということであったため、この両社は二、三年で旧地に復し、今も合祀以前のように各々廓(村組)の人々によって祀られている。
なお、当社は昭和四十八年に社殿の改修を行っている。(「埼玉の神社」より)


三島神社伊豆神社合殿社の周辺図