高柳神明社。名主高橋家が伊勢神宮を勧請
高柳神明社の概要
高柳神明社は、熊谷市高柳にある神明社です。高柳神明社の創建については不詳ながら、江戸時代に当村の名主を務めていた高橋家が伊勢神宮の分霊を勧請して創祀、明治9年村社に列格したといいます。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 天照大神 |
相殿 | - |
境内社 | 天神社・稲荷社・大黒天 |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市高柳11 |
備考 | - |
高柳神明社の由緒
高柳神明社の創建については不詳ながら、江戸時代に当村の名主を務めていた高橋家が伊勢神宮の分霊を勧請して創祀、明治9年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による高柳神明社の由緒
(高柳村)
太神宮
村持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による高柳神明社の由緒
神明社(熊谷市高柳一一(高柳字神明坪))
高柳という地名は、この辺りが周囲より高い台地になっていることから付けられたといわれ、かつては、畑作や養蚕を主体とした農業地域であった。当社の境内も、氏子の桑園に囲まれていたが、近年の宅地化の進行のため、桑園は住宅に姿を変え、境内の雰囲気も随分変わってしまった。
当社は、その昔、名主を務めていた高橋家の一族が、参宮記念に伊勢神宮から、天照大神の分霊を受け一祠を設けて、祀ったことに始まるという。この話に伝えられる創建の年代がいつごろのことなのかはわからないが、高橋家の本家は当主の泰已で一四代になるということであるから、江戸期の初めから中ごろにかけてのことであろうか。また境内の土地も、この高橋家の先祖が自分の土地を奉納したものであるといわれている。
こうしたことから考えると、当社は最初、高橋家の氏神として祀られていたが、村の発展に伴い、村の鎮守になっていったものではないかと推測される。以後、記録に残っているところを見ると、『風土記稿』には「太神宮 村持」とあり、『明細帳』では明治九年五月に村社になった旨が記されている。更に昭和四十八年十二月二十三日には、氏子一同の協力により、老朽化の進んだ拝殿・本殿の再建が行われ、今日に至っている。(「埼玉の神社」より)
高柳神明社の周辺図