祥興山瑞林寺。大河内孫十郎政信が開基
瑞林寺の概要
曹洞宗寺院の瑞林寺は、祥興山と号します。瑞林寺は、大河内孫十郎政信(法名瑞光院来阿大禅定門)が開基、矢場村惠林寺第五世大庵文恕(慶長6年1601年寂)が開山となり創建したといいます。幡羅郡八十八ヶ所霊場73番です。
山号 | 祥興山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 瑞林寺 |
本尊 | - |
住所 | 熊谷市妻沼2485 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
瑞林寺の縁起
瑞林寺は、大河内孫十郎政信(法名瑞光院来阿大禅定門)が開基、矢場村惠林寺第五世大庵文恕(慶長6年1601年寂)が開山となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による瑞林寺の縁起
(妻沼村)
瑞林寺
曹洞派禅宗、上野國山田郡矢場村惠林寺末、祥興山と號す、開山は本寺第五世大庵文恕にて、大河内孫十郎政信開基す、文恕は慶長六年十二月二十五日寂し、政信は貞和四年五月二十三日卒し、瑞光院来阿大禅定門と追號すと、御境内に其墓ありて、五輪の塔を立、銘に来阿大禅定門とのみ彫たり、按に政信の卒を貞和四年と云事疑ふべし、慶長年中當所に陣屋ありて、大河内孫十郎及び金兵衛等住して、此邊の事を指揮せし由村民も傳へたれば、恐くは政信は慶長頃の人なるを、たまたま墓所に古き塔あるをもて、推當に政信の墳といひ出たるならん、殊に開山の僧慶長六年の寂なれば、開基の人も同時なる事知べし、本尊釋迦を安置す、
鐘樓。正徳四年鑄造の鐘を掛く、(新編武蔵風土記稿より)
瑞林寺の周辺図