幸安寺。小此木紀伊守の祖小笠原運派が開基
幸安寺の概要
臨済宗南禅寺派寺院の幸安寺は、福源山と号します。幸安寺は、小此木紀伊守の祖小笠原運派(幸安寺福源善光居士)が開基、国済寺三十六世瑞厳令天禅師が開山となり、文亀2年(1502)に創建、国済寺三十九世天徳令瑞禅師が天正年間に中興したといいます。幡羅郡八十八ヶ所霊場39番です。
山号 | 福源山 |
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院号 | |
寺号 | 幸安寺 |
本尊 | - |
住所 | 熊谷市三ケ尻1523 |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
幸安寺の縁起
幸安寺は、小此木紀伊守の祖小笠原運派(幸安寺福源善光居士)が開基、国済寺三十六世瑞厳令天禅師が開山となり、文亀2年(1502)に創建、国済寺三十九世天徳令瑞禅師が天正年間に中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による幸安寺の縁起
(三ヶ尻村)幸安寺
禅宗臨済派、國濟寺村國濟寺末、福源山と號す、文亀二年の起立にて開基小笠原某は永禄十年三月九日卒す、法號を幸安寺福源善光居士と云。開山瑞岩令天和尚寂年を傳へず、三世の僧瑞天正十九年再興せしにより、是を中興開山とす、本尊薬師を安ず。
塔頭、中岸寺。今は廃寺となれり、當寺は天文元年の起立にして、開山を獨峯徳吟と號せり。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県掲示による幸安寺の縁起
幸安寺
幸安寺は臨済宗南禅寺派に属し、開基は小此木紀伊守の祖小笠原運派、開山は国済寺三十六世瑞厳令天禅師である。文亀二年(一五〇二)の開創と伝えられ、その後、一時疲弊したが国済寺三十九世天徳令瑞禅師が天正年間に中興し、現在第二十五世に至っている。
本尊は薬師如来を祀り、渡辺華山の藩主三州田原候の祖三宅総衛門康貞の菩提寺とも伝えられる。当寺は大火に二度遭い全焼し、現在の建物は大正以後の建造である。運派塚三宅屋敷跡はいずれも二百メートルほど離れた所にある。
またこの寺は、地域の有力者の菩提寺として栄え、蓮屋忠兵衛、権田賢九郎、権田健長などの頌徳碑及び墓石もあり、真下仙友の歌碑もある。(埼玉県掲示より)
幸安寺の周辺図