普門寺。熊谷市千代にある天台宗寺院
普門寺の概要
天台宗寺院の普門寺は、千代山薬王院と号します。普門寺の創建については不詳ながら、当地にあった薬師庵を、天和2年(1682)に舜祐和尚(寛保元年1741年寂)が取り立てて一寺とし、千代山薬王院普門寺と号したといいます。
山号 | 千代山 |
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院号 | 薬王院 |
寺号 | 普門寺 |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 熊谷市千代425-1 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
普門寺の縁起
普門寺の創建については不詳ながら、当地にあった薬師庵を、天和2年(1682)に舜祐和尚(寛保元年1741年寂)が取り立てて一寺とし、千代山薬王院普門寺と号したといいます。
新編武蔵風土記稿による普門寺の縁起
(千代村)
普門寺
天台宗、大里郡三ツ木村安穏寺の門徒、千代山薬王院と號す、當寺もと薬師庵と號せしを、天和二年取立て一寺となす、開山を舜祐と云、寛保元年十月四日寂す、本尊薬師、(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による普門寺の縁起
普門寺
普門寺は、もとは薬師庵であったが、天和二年(一六八二年)に舜祐和尚が一寺を建立し、千代山薬王院普門寺と称した。本尊は薬師如来である。
当地は、昔、千代村と呼ばれ、武川家の折井市左衛門次忠の知行地であって当寺は成田下総守の家人小久保弾正国久の子孫が開基といわれている。しかし、文政十二年(一八二九年)に火災に遭い本堂やその他の建物、古記録等を焼失してしまったが、天保元年(一八三〇年)に小久保兵左衛門の尽力により再興されている。
本堂に安置してある山王大権現は、明治十一年に江南村字三本の安穏寺が廃寺となったため当寺に迎え奉ったものである。(埼玉県掲示より)
普門寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿