玉井寺。「玉の井」地、玉井四郎屋敷、熊谷七福神の布袋尊
玉井寺の概要
真言宗智山派寺院の玉井寺は、瑠璃光山と号します。玉井寺の創建年代等は不詳ながら、平安京造営大夫の藤原小黒麻呂に命じられて四神相応の地を見立てるために旅をしていた興福寺の僧賢璟が、当地に彫った井戸から二つの宝珠が出てきたため、この井戸は「玉の井」と名付けられ、宝珠の一つを寺宝として創建したといいます。当地周辺に成田四郎助實(玉井四郎)の屋敷があったといい、玉井四郎が開基ではないかといいます。賢海(寛永17年1640寂)が中興、慶安2年に(1649)は寺領15石の御朱印状を拝領していました。熊谷七福神の布袋尊、幡羅郡八十八ヶ所霊場62番です。
山号 | 瑠璃光山 |
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院号 | - |
寺号 | 玉井寺 |
住所 | 熊谷市玉井1888 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
玉井寺の縁起
玉井寺の創建年代等は不詳ながら、平安京造営大夫の藤原小黒麻呂に命じられて四神相応の地を見立てるために旅をしていた興福寺の僧賢璟が、当地に彫った井戸から二つの宝珠が出てきたため、この井戸は「玉の井」と名付けられ、宝珠の一つを寺宝として創建したといいます。当地周辺に成田四郎助實(玉井四郎)の屋敷があったといい、玉井四郎が開基ではないかといいます。賢海(寛永17年1640寂)が中興、慶安2年に(1649)は寺領15石の御朱印状を拝領していました。
新編武蔵風土記稿による玉井寺の縁起
(玉井村)玉井寺
新義真言宗、山城國醍醐報恩院末、瑠璃光山と號す、寺領十五石は慶安二年八月二十四日御朱印を附らる、本尊三尊彌陀を安ず、開基開山詳ならず、按にこの邊に助實が屋敷ありしといひ、且その墳墓等あるを見れば、この人の開基なるにや、中興開山賢海寛永十七年十月三日寂せり。
春日社。助實勧請すと云。
稲荷社。天神社。牛頭天王社。薬師堂。彌陀堂。
鐘楼。寛文十年鋳造の鐘をかく。
玉井四郎墓。客殿の西にあり、高さ四尺許の五輪なり、そのさま苔むして、實に古のものと見えたり、梵字のみにして別に碑字なし、按に玉井四郎と云人、保元以来の記録に出るもの三人、是世々の稱呼なること知べし。然に此墓は何の代の四郎なりや、卒年を知ざれあ考べからず、猶下の舊跡の下に世系の梗檗を出したれば照見べし。
玉ノ井。前の墓より西の方林の中にあり、圓径一尺五六寸、深さ二丈許り、自然の小石を以て四方を積上たり、いかなる干魃にもかかることなしと云、常に汲ことを禁ぜり、水面に寶珠の形あらはるゝ故、この名ありなど傳れどいかがはあらん、土人傳へに助實が屋敷の井なりといへば、常時この邊まで助實が屋敷の井なりと見えたり。(新編武蔵風土記稿より)
玉井寺所蔵の文化財
- 十王供養塔
- 玉井四郎の墓
玉井寺の周辺図