彦音香取神社。三郷市彦音の神社
彦音香取神社の概要
彦音香取神社は、三郷市彦音にある神社です。彦音香取神社の創建年代は不詳ですが、伊奈氏の新田開発により低湿地の水田化が行われ、彦音村が分村した江戸時代初期には創建されていたとのではないかといいます。明治40年、彦音村内にあった熊野社と稲荷社を合祀しています。

社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主之命 |
相殿 | - |
境内社 | 熊野社、稲荷社 |
祭日 | - |
住所 | 三郷市彦音2-26 |
備考 | - |
彦音香取神社の由緒
彦音香取神社の創建年代は不詳ですが、伊奈氏の新田開発により低湿地の水田化が行われ、彦音村が分村した江戸時代初期には創建されていたとのではないかといいます。明治40年、彦音村内にあった熊野社と稲荷社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による彦音香取神社の由緒
(彦音村)香取社
村の鎮守とす、真蔵寺持下二社持同じ(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による彦音香取神社の由緒
香取神社
彦音は、東西に細長く、西部の中川左岸の自然堤防上には昔からの集落がある。また、中央部から東部にかけては低地で水田が広がっていたが、東部は近年、三郷団地として開発され、その景観は一変している。
彦音の名は、『風土記稿』によると、彦糸村から分村し、初め彦乙と書いていたが、正保のころには今の字が書かれているとある。
当地は、同じ中川左岸の自然堤防上に連なる村々と同様に、中世からの系譜を引く村落であると思われ、当社に保管されている板碑からも、このことがうかがえる。また、分村については、近世初掛に伊奈氏の新田開発により、低湿地の水田化が行われたことが、大きな要因になったと考えられる。
当社は、恐らく分村のころには、既に祀られていたと思われるが、創建に関する記録などは残っていない。ただし、造営に関する記録として唯一、嘉永四年(一八五一)の社殿再営の棟札があり、氏子一七名による寄進であることを記している。
また、『風土記稿』から、村内にあった当社並びに熊野社と稲荷社は、往時、当村にあった真蔵寺が管理していたことがわかる。
明治四十年、右の熊野社と稲荷社が合祀された。(「埼玉の神社」より)
彦音香取神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」