平方新田神明神社。吉川市平方新田の神社

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平方新田神明神社。吉川市平方新田の神社

平方新田神明神社の概要

平方新田神明神社は、吉川市平方新田にある神社です。平方新田神明神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期の河川改修に伴う新田開発により平方村新田が成立、当社は元禄年間(1688-1704)に創建したと伝えられます。享保14年(1729)の江戸川改修に伴い、平方村新田は千葉県側と埼玉県側の東西に分裂、明治28年の法令により埼玉県に編入されています。

平方新田神明神社
平方新田神明神社の概要
社号 神明神社
祭神 大日孁命
相殿 水速女命、字賀魂命
境内社 稲荷、神明
祭日 お歩射1月24-26日
住所 吉川市平方新田461
備考 -



平方新田神明神社の由緒

平方新田神明神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期の河川改修に伴う新田開発により平方村新田が成立、当社は元禄年間(1688-1704)に創建したと伝えられます。享保14年(1729)の江戸川改修に伴い、平方村新田は千葉県側と埼玉県側の東西に分裂、当地は流山市平方新田の枝村となっていましたが、明治28年の法令により埼玉県に編入されています。

新編武蔵風土記稿による平方新田神明神社の由緒

平方新田は、江戸時代には下総国領だったため記載なし(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による平方新田神明神社の由緒

神明神社<吉川町平方新田一二九三(平方新田字神明通)>
地名の平方は太日川沿岸の平坦部を表すという。
千葉県側にある親村の平方村新田(現流山市平方村新田)は、徳川幕府の河川改修・新田開発によって作られた村である。当地とこの親村とは、享保十四年(一七二九)の江戸川改修により、地理的に川を挟んで分けられていたが、明治二十八年の江戸川以西を埼玉県に編入する法律により正式に分村した。
口碑によると、当社の創建を元禄年中(一六八八-一七〇四)と伝えるが、末社の天神社は当地の草分け利根長三郎なる者が、戦国期に松戸から入植した時に祀った神社で、本社よりも古いという。
氏子は本社である神明神社を鎮守と呼び、末社天神社を氏神と呼んでいる。これは柳田国男が『神道と民俗学』の中で、小さな末社の創建に注目しているが、新田開発に伴い村の規模が大きくなるに従い、かつて開発者の祀った氏神とは異なる村鎮守を祀ったものであろう。
祭神は大日孁命(神明)・水速女命(水神)・字賀魂命(稲荷)であり、氏子は昔から当社を「三社様」と呼び、勧請当時の社号額に「三社宮」とあるところから、当初から現在の祭神を祀ったものであろろう。
享保の分村後も、当地と対岸の天谷河岸の交流は盛んで、農地改革まで、対岸の稲荷神社と当社で定使い田と呼ぶ共有田を持っていた。(「埼玉の神社」より)


平方新田神明神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」