中曽根香取御嶽神社。吉川市中曽根の神社

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中曽根香取御嶽神社。吉川市中曽根の神社

中曽根香取御嶽神社の概要

中曽根香取御嶽神社は、吉川市中曽根にある神社です。中曽根香取御嶽神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には中曽根村の鎮守社だったといいます。

中曽根香取御嶽神社
中曽根香取御嶽神社の概要
社号 香取御嶽神社
祭神 経津主命、蔵王権現
相殿 -
境内社 天満・八幡・稲荷・水神宮・八大龍王、古峰・石尊・庚申・清正公大明神・大威徳明王・庚申塔
祭日 -
住所 吉川市中曽根1-23-2
備考 -



中曽根香取御嶽神社の由緒

中曽根香取御嶽神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には中曽根村の鎮守社だったといいます。

新編武蔵風土記稿による中曽根香取御嶽神社の由緒

(中曽根村)香取蔵王合社
村の鎮守なり、地福院持
末社八幡、稲荷天神合社。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による中曽根香取御嶽神社の由緒

香取御嶽神社(中曾根字東方)
当社は中曾根の字東方にある。鳥居前を南北に走る道路により字を東方と西方に分けている。社殿は珍しく西向きであるが、これは社の前方にある南通という古い集落との関係が考えられる。
拝殿内に一間社流造りの同形二社の本殿が祀られ、向かって右が香取神社、左が御嶽神社である。香取神社の内陣に「元禄四年(一六九一)四月八日、武蔵国二郷半領中曾根村ロロ茂右衛門、佛師京五条口主水」と墨書のある同形二体の本地仏が安置されている。この像を納める厨子に掛けた帳には「享保七年(一七二二)三月二十八日、奉掛御宝前、中曾根村篠田鹿之丞」と記されている。ほかに両社に共通して、それぞれ金幣・銅鏡・陰陽石がある。金幣には「元禄十五年(一七〇二)正月日、武蔵国二郷半領之内中曾根村地福院住法印聖山房賢全」と刻み、銅鏡には「奉寄附御鏡 武蔵国葛飾郡二江半領之内中曾根村鎮守御宝什 元禄十五壬午年三月吉日 施主清水七兵衛」の銘がある。両社殿には元禄十五年三月吉祥日の棟札が蔵されている。
このように両社に共通した金幣・鏡・石が存在するところから、香取神社に安置される二体の本地仏のうち一体は御嶽神社のものと考えられる。また社名・社殿が今日のように整えられたのは元禄期と思われ、それまでの神体は陰陽石で、香取神社の石が男性を、御嶽神社のものが女性を表している。二社を合祀した祀り方は古いものであろう。(「埼玉の神社」より)


中曽根香取御嶽神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」