福田熊野神社。比企郡滑川町福田の神社
福田熊野神社の概要
福田熊野神社は、比企郡滑川町福田にある神社です。福田熊野神社の創建年代等は不詳ながら、室町時代以前の創建ではないかと口承されています。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、大正2年には、地内の伊勢・八雲・稲荷の三社を合祀、昭和8年村社に指定されていました。現在は下福田地区を氏子地域とし、夏祭り(天王様)・秋祭りでは獅子舞が奉納されます。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 速玉男命、伊弉冉命、事解男命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭4月15日、天王様7月15日、秋祭り7月17日 |
住所 | 比企郡滑川町福田1734 |
備考 | - |
福田熊野神社の由緒
福田熊野神社の創建年代等は不詳ながら、室町時代以前の創建ではないかと口承されています。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、大正2年には、地内の伊勢・八雲・稲荷の三社を合祀、昭和8年村社に指定されていました。現在は下福田地区を氏子地域とし、夏祭り(天王様)・秋祭りでは獅子舞が奉納されます。
境内掲示による福田熊野神社の由緒
当社は紀伊国牟婁郡に鎮座する熊野速玉神社の分社として祀られたと伝えられるが創建の時代は明らかでない。新編武蔵風土記稿によれば当熊野神社は天台宗普光寺持として記載され同寺は資料から見てその開山は鎌倉時代に遡り、室町後期まで下福田地域で寺職を司る寺と推測されることや境内に樹齢五百年を越えると見られる杉の大樹が繁茂していたことから、当社の創始は室町以前と推察される。明治四年三月村社となり、昭和八年指定村社に昇格した。(滑川町観光協会・滑川町教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による福田熊野神社の由緒
(福田村)
熊野社
普光寺持
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普光寺
天台宗、埼玉郡上中條村常光院の末、輪光山と云、開山賢意は貞享元年七月寂す、本尊毘沙門を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による福田熊野神社の由緒
熊野神社<滑川町福田一七三四(福田字大沼)>
当社が鎮座する福田は、滑川支流の中堀川の開析谷の低地と丘陵部に位置し、隣地に接する大沼のほか、大小多くの沼地が点在する。
祭神は、伊弉冉命・事解男命・速玉男命の三柱で、熊野三所権現像が内陣に奉安されている。
この像は、付近の分山から切り出された石材によって作られており、宮本倭蔵と称する石工の銘がある。倭蔵は、越後国から寛政期(一七八九-一八〇一)ごろに当村に移住して来た人だといわれている。
当社は、紀伊国に鎮座する熊野三社を勧請して奉祀したというが、その年代は不詳である。したがって、推定するしかないのであるが、『風土記稿』によれば、当社はかつて地内にあった天台宗普光寺が別当寺であると記載されており、また、同寺の開山賢意の寂年が貞享元年(一六八四)となっていることから、恐らくは、このころに当社も地域の鎮守として勧請されたのであろう。なお、古老の話では、その創建は室町期以前にさかのぼるとしており、当社本殿近くの樹齢五百年の杉がそれを物語っているという。
明治初年の神仏分離により普光寺の管理下を離れた当社は、明治四年に村社となった。大正二年三月には、地内の伊勢・八雲・稲荷の三社を合祀した。(「埼玉の神社」より)
福田熊野神社所蔵の文化財
- 下福田ささら獅子舞(町指定民俗文化財)
福田熊野神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)