羽尾諏訪神社。比企郡滑川町羽尾の神社

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羽尾諏訪神社。比企郡滑川町羽尾の神社

羽尾諏訪神社の概要

羽尾諏訪神社は、比企郡滑川町羽尾にある神社です。羽尾諏訪神社は、文明年間(1469-1487) の旱魃に際して小林家の氏神諏訪神社に雨乞いの祈願をしたところ霊験あらたかだったことから、文亀2年(1502)に諏訪大社を勧請したと伝えられます。

羽尾諏訪神社
羽尾諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命、八坂刀売命
相殿 -
境内社 -
祭日 例祭8月26日、春祭り3月2日、己の晩祭5月上旬の己の晩、秋祭11月26日
住所 比企郡滑川町羽尾4973
備考 -



羽尾諏訪神社の由緒

羽尾諏訪神社は、文明年間(1469-1487) の旱魃に際して小林家の氏神諏訪神社に雨乞いの祈願をしたところ霊験あらたかだったことから、文亀2年(1502)に諏訪大社を勧請したと伝えられます。当社の例祭前夜には信濃の本社より当社に竜神が渡御するので中尾耕地に竜の通った跡が見られたと伝えています。

境内掲示による羽尾諏訪神社の由緒

当社は往古この地方干ばつの際、信濃国諏訪神社に雨を祈ったところ、その霊験が顕著であったので文亀二壬戌(西暦一五〇二)年七月その分霊を勧請したと縁起書にある。雨乞いの神でもありまた養蚕繁昌の神として多くの信仰を集めた。
当社に「竜神渡り」の伝説がある。八月二十六日の例祭前夜に信濃の本社よりこの神社に竜神が渡御するので中尾耕地に竜の通った跡が見られたという。(滑川町観光協会・滑川町教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による羽尾諏訪神社の由緒

(羽尾村)
諏訪社
金剛院持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による羽尾諏訪神社の由緒

諏訪神社<滑川町羽尾九七三(羽尾字市場)>
当地は滑川右岸・市野川流域の低地・台地上に位置し、羽尾の地名は粘土・赤土を示す「はに」の意で当地の地質に由来する。このことは『郡村誌』羽尾村の項に「色赤黒稲梁に適せず水利不便時々旱に苦しむ」と載ることからもうかがえる。
また、旱のことは『風土記稿』にも「市ノ川・滑川の水を引て用水とすれど、動もすれば皐損あり」とみえ、古くから水利・干ばつには苦労していたようである。
地内の小林家の口伝によると、文明年間(一四六九-八七) の数年にわたる大干ばつの際、小林家の氏神である諏訪神社に雨乞いの祈願をしたところ霊験あらたかに大雨が降り、以来村人の崇敬を得るようになった。文亀二年(一五〇二)七月に村人の強い願望により信州諏訪大社から分霊を勧請したのが当社の創祀で、鎮座祭は金剛院声俊法師によって執り行われたという。
天和元年(一六八一)の棟札には「奉再建諏訪大明神一宇」村内惣氏子安全」「金剛院祐円謹白」とみえ、『風土記稿』には「金剛院持」と載ることから、創建当時から一貫して金剛院が別当であったことが知られる。
明治初年の神仏分離令により、金剛院の管理下から離れた当社は、大正二年に村内の琴平社を、同四年には愛宕御獄社を合祀している。なお、現在の社殿は大正三年に再建されたものである。(「埼玉の神社」より)


羽尾諏訪神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)