中尾雷電神社。比企郡滑川町中尾の神社
中尾雷電神社の概要
中尾雷電神社は、比企郡滑川町中尾にある神社です。中尾雷電神社は、応永9年(1402)の旱魃に際し加茂大神を勧請、村の鎮守として祀ってきたといいます。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治41年地内の諸社を合祀しています。
社号 | 雷電神社 |
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祭神 | 別雷命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭10月15日、春祭り3月15日、秋祭り12月15日 |
住所 | 比企郡滑川町中尾293 |
備考 | - |
中尾雷電神社の由緒
中尾雷電神社は、応永9年(1402)の旱魃に際し加茂大神を勧請、村の鎮守として祀ってきたといいます。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治41年地内の諸社を合祀しています。
境内掲示による中尾雷電神社の由緒
当社は応永九壬午(西暦一四〇二)年、此の地方が大旱魃に襲われ作物が枯死寸前にあった時、里民挙って山城国加茂大神に雨を祈ったところ程なく豪雨があり郷民の苦難が救われたので里民その神徳の顕著であったことを尊崇し加茂大神の神霊を当地に奉祀し雷電神社と称し鎮守の神として崇拝した。
明治六年村社の格に列す。
昭和四十一年二十六号台風のため社殿が全壊したので氏子関係者の協力によって翌四十二年十月現社殿を再建した。
特殊神事として「雨乞祭」があり御神木の桧の頂上に旗を立てて祈念すれば必験ありと云う。((滑川町観光協会・滑川町教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による中尾雷電神社の由緒
(水房村枝郷中尾村)
雷電社
村の鎮守なり、村持、下並に同じ、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による中尾雷電神社の由緒
雷電神社<滑川町中尾二九三(中尾字居山)>
中尾は、水房村の枝郷の一つで、滑川町の西端に位置し、その西側は嵐山町に接する。当社は、この中尾の鎮守として奉斎されてきた社で『風土記稿』中尾村の項にも「村の鎮守」としてその名が見える。『明細帳』は、当社の由緒を次のように伝えている。応永九年(一四〇二)、この地方が大干ばつに見舞われて農作物が枯死寸前にあった時、里人こぞって山城国(現京都府)加茂大神に雨を祈ったところ、程なく豪雨があり、里人の苦難が救われたので、里人はその神徳の顕著であったことを尊崇し、加茂大神の神霊を当地に奉祀して雷電神社と称え、鎮守として崇拝した。その後も、干ばつの時には降雨を祈れば霊験の広大なること必ずであったという。中尾に限らず、この地域では地内に多くの溜池があることからわかるように、天水場であり、降雨を祈願する人々の切実な気持ちが由緒の上からも推察される。
明治四十一年九月二十二日、政府の合祀政策に従い、字広瀬無格社三島神社、字清水無格社愛宕神社、字天俵無格社天神社、字谷無格社稲荷神社の四社を当社本殿に合祀した。しかし、これは書類上の合祀にとどまっており、三島神社・天神社・稲荷神社の三社では、現在もなお個々に祭日を定め、各々地元の組の人々によって祭事が行われている。また、当社の社殿は、昭和四十一年、台風二六号により全壊したが、氏子一同の協力によって翌四十二年十月に再建された。(「埼玉の神社」より)
中尾雷電神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)