土塩淡洲神社。比企郡滑川町土塩の神社

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土塩淡洲神社。比企郡滑川町土塩の神社

土塩淡洲神社の概要

土塩淡洲神社は、比企郡滑川町土塩にある神社です。土塩淡洲神社は、天明3年(1783)に吉川源十郎源従門が創建、土塩村の鎮守として祀られてきました。

土塩淡洲神社
土塩淡洲神社の概要
社号 淡洲神社
祭神 速御玉比売命
相殿 -
境内社 天神社、三峰神社、金刀比羅神社
祭日 例祭4月17日、新嘗祭10月17日
住所 比企郡滑川町土塩422
備考 -



土塩淡洲神社の由緒

土塩淡洲神社は、天明3年(1783)に吉川源十郎源従門が創建、土塩村の鎮守として祀られてきました。

境内掲示による土塩淡洲神社の由緒

当社は神功皇后の三韓鎮定の広徳を仰ぎその神霊を此の地に奉祀したという。
創始の年代は天明三癸卯(西暦一七八三)年七月三日と記録されており、天児屋根命第五十八代的伝神祇道唯一人吉川源十郎源従門によって創立されたと伝えられる。
境内地四〇六坪には杉の大樹が聳え神苑に荘厳の気を漂わしている。(滑川町観光協会・滑川町教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による土塩淡洲神社の由緒

(土鹽村)
淡洲明神社
村内の鎮守なり、明昌寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による土塩淡洲神社の由緒

淡洲神社<滑川町土塩四二二(土塩字南薬王寺)>
当社の鎮座する土塩は、滑川町の最北部にあり、町の北側を東へ流れる和田川に沿った沖積地である。地名は、塩が楔形の谷の奥の意で、当地が開析谷の奥にあることから付されたという。
当社は、『風土記稿』に「淡洲明神社 村内の鎮守なり、明昌寺持」とあり、江戸期は、真言宗金宝山明照寺が別当であった。
祭神は、速御玉比売命である。村内に鎮座する式内社伊古乃速御玉比売神社がかつて淡洲明神とも呼ばれていたこと、同社の境内社に琴平神社と天神社があることなど当社との相似点が多い。現在、当地方に淡洲神社(阿和須神社)が六社あり、伊古乃速御玉比売神社を中心にそれを取り囲むように放射状に分布しており、同社がその信仰の核になっていたことをうかがわせる。
『比企郡神社誌』によると、当社は「天明参癸卯年(一七八三)七月参日天児屋根命五拾八代的伝神祇道唯一人吉川源十郎源従門の創立」とある。
ここにいう吉川源十郎は、吉川神道を創唱した吉川惟足の子孫に当たる。惟足以来、幕府は、吉川家を吉田神道の正統の教義を継承した者とみなし、神道に関する故実の調査などを行う幕府神道方の職に世襲職として任命した。この神道方の吉川家が当社の創建にかかわった経緯については明らかではない。(「埼玉の神社」より)


土塩淡洲神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)