五厘沼窯跡群。比企郡滑川町羽尾にある旧跡・名所

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五厘沼窯跡群。比企郡滑川町羽尾にある旧跡・名所

五厘沼窯跡群の概要

五厘沼窯跡群は、比企郡滑川町羽尾にある名所旧跡です。五厘沼窯跡群は、須恵器を焼くための窯として、古墳時代後期の6世紀~7世紀に築造・使用されたものと推定されています。岩盤が高熱に耐えられるよう粘土で窯壁を補強、焼く度ごとに窯を改修したと思われる痕跡が残っているそうです。昭和54年の道路工事に伴い調査され、埼玉県史跡に指定されています。

五厘沼窯跡群
五厘沼窯跡群の概要
旧跡・名所名 五厘沼窯跡群
区分 埼玉県指定史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 比企郡滑川町羽尾4532-4
備考 -




五厘沼窯跡群の縁起

五厘沼窯跡群は、須恵器を焼くための窯として、古墳時代後期の6世紀~7世紀に築造・使用されたものと推定されています。岩盤が高熱に耐えられるよう粘土で窯壁を補強、焼く度ごとに窯を改修したと思われる痕跡が残っているそうです。昭和54年の道路工事に伴い調査され、埼玉県史跡に指定されています。

新編武蔵風土記稿による五厘沼窯跡群について

該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)

滑川町・埼玉県掲示による五厘沼窯跡群について

五厘沼窯跡群
この窯跡は、須恵器と呼ばれる焼物を生産したものです。
須恵器は古墳時代後期に朝鮮半島から、その製作集団が渡来して日本でも生産されるようになったといわれています。五厘沼窯跡は発掘調査の時に出土した遺物などから、六世紀末から七世紀初頭にかけて須恵器を焼いたものではないかと推定されます。山の傾斜面を有効に使い、岩盤をくりぬいている「登り窯」と呼ばれるもので、窯の斜角は十五度位です。窯の幅は二~二・五メートル、高さ一・五~一・七メートルで、残存している窯の長さは十五メートルあります。下部の焚口で火を燃やし還元熱を利用し、一一五〇度前後の高熱を得て焼いたものでしょう。岩盤だけでは高熱に耐えられないため、スサ入り粘土で窯壁を補強工作しています。焚口部は舟底型のピットになっています。遺物は、高坏・蓋・堤瓶・甕・平瓶・壺・高台付壺・摺鉢の破片が出土しており、これらを生産したものと思われます。須恵器を焼くたびごとに窯を改修したらしいこん跡も残っていますが、使用されたのは数回と思われます。
五厘沼窯跡群は昭和五十四年一月~三月に道路工事で記録保存のため調査されましたが保存が良好で、周辺の埋蔵文化財との関連がきわめて深いため保存されることになりました。(滑川町教育委員会・埼玉県教育委員会掲示(埼玉県教育委員会・滑川町教育委員会掲示より)


五厘沼窯跡群の周辺図


参考資料