真福寺。地頭加藤喜左衛門開基
真福寺の概要
曹洞宗寺院の真福寺は、石水山と号します。真福寺の創建年代等は不詳ながら、かつては諸堂整備された天台宗寺院で、平安時代末期には既に建立されていたのではないかといいます。江戸期には石水山真福寺と号す天台宗寺院でしたが、明治維新後廃寺とされ、現在は曹洞宗寺院に帰属しているそうです。
山号 | 石水山 |
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院号 | - |
寺号 | 真福寺 |
本尊 | 正観世音菩薩像 |
住所 | 比企郡滑川町福田 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
真福寺の縁起
真福寺の創建年代等は不詳ながら、かつては諸堂整備された天台宗寺院で、平安時代末期には既に建立されていたのではないかといいます。江戸期には石水山真福寺と号す天台宗寺院でしたが、明治維新後廃寺とされ、現在は曹洞宗寺院に帰属しているそうです。
新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起
(福田村)
眞福寺
石水山と號す、前と同寺の末(天台宗、埼玉郡上中條村常光院の末)なり、地蔵を本尊とす、 (新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による真福寺の縁起
真福寺の観音様
正規菩薩と呼ばれ、特に安全子育祈願で知られている。古くは天台宗で諸堂の整備された大寺であったことがうかがえる。再興され石水山真福寺と呼ばれ、この時石川氏が深く関与したものと思われる。
現在は曹洞宗寺院に寄属しているが管理など檀中で行っている。諸資料から考察すると、平安時代末にはすでに寺が創建されていた可能性が強い。観音堂はほんの一部の建物であった。
開山開基とも不詳である。関連するものは明応四(一四九五)年の青銅製鰐口(代表者保管)と前の丘にある石水道林居士石造物が存在する。南北朝の板石塔婆も出土している。
いつ頃から続けられているが定かではないが、今でも中郷の檀中で年四(昔は三)回の祭礼を催し、近隣から老若男女の参詣を集めている。
昭和五十五年十月例祭之辰
旧暦正月十八日 新暦四月十七日
旧暦七月十日 旧暦九月十七日(中郷檀中掲示より)
真福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿