興長禅寺。地頭加藤喜左衛門開基
興長禅寺の概要
曹洞宗寺院の興長禅寺は、萬勝山と号します。興長禅寺は、州山芳伊(天正13年1585年寂)が開山、その後地頭加藤喜左衛門(慶長18年1611年卒)が開基したといいます。当寺近くには、寺谷廃寺と呼ばれる寺跡があり、その創建は出土している瓦文様から7世紀初頭に遡ると推定され、また寺谷廃寺と同一か判然としないものの武田信玄の侵略により廃寺となった福嚴寺蹟もあったことから、曹洞宗僧侶の州山芳伊が仏法を再建したものかもしれません。
山号 | 萬勝山 |
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院号 | |
寺号 | 興長禅寺 |
本尊 | 十一面観世音菩薩像 |
住所 | 比企郡滑川町羽尾4717 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
興長禅寺の縁起
興長禅寺は、州山芳伊(天正13年1585年寂)が開山、その後地頭加藤喜左衛門(慶長18年1611年卒)が開基したといいます。当寺近くには、寺谷廃寺と呼ばれる寺跡があり、その創建は出土している瓦文様から7世紀初頭に遡ると推定され、また寺谷廃寺と同一か判然としないものの武田信玄の侵略により廃寺となった福嚴寺蹟もあったことから、曹洞宗僧侶の州山芳伊が仏法を再建したものかもしれません。
新編武蔵風土記稿による興長禅寺の縁起
(羽尾村)
興長寺
禅宗曹洞派、市の川永福寺の末、萬勝山と號す、開山州山芳伊は天正十三年三月朔日化す、開基は當所の地頭加藤喜左衛門なり、慶長十八年八月十七日卒す、本尊十一面觀音を安ぜり、
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地蔵庵
興長寺持
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福嚴寺蹟
坤の方にあり、天正年中武田信玄此邊へ働らきし時、兵火の爲に烏有となり、遂に廢すと云、此説まことならんにも、天正と云は誤りなるべし、永禄年中のことならん、 (新編武蔵風土記稿より)
興長禅寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿