武野神社。新座市野寺の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

武野神社。旧称八幡社、武蔵野と野寺より付けられた社号

武野神社の概要

武野神社は、新座市野寺にある神社です。武野神社の創建年代は不詳ながら、かつては八幡社と称し、満行寺とともに十二天村にあったといいます。源義家が前九年の役で東征の際に、当社で戦勝祈願し、社を北向きにしたといい、康平6年(1063)には社殿が修復されたといいます。明治41年に栗原の浅間社を始めとする八社を当社に合祀、武蔵野と野寺より武野神社と社号を改めたといいます。

武野神社
武野神社の概要
社号 武野神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 稲荷神社、辨天社など
祭日 -
住所 新座市野寺3-11-34
備考 -



武野神社の由緒

武野神社の創建年代は不詳ながら、かつては八幡社と称し、満行寺とともに十二天村にあったといいます。源義家が前九年の役で東征の際に、当社で戦勝祈願し、社を北向きにしたといい、康平6年(1063)には社殿が修復されたといいます。明治41年に栗原の浅間社を始めとする八社を当社に合祀、武蔵野と野寺より武野神社と社号を改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による武野神社の由緒

(野寺村)八幡社
除地、下に載る辨天の社地及別當寺境内ともに三町餘、村内南の山上にあり、別當は満行寺なり。彼寺の門と當社の入口と相對の間に路あり、入口は寅卯の方に向ふ、石階九級を登りて纔の平地あり、此所に鳥居を立、左右に石燈籠ありて、又三級の石階を登りtげ、二十六七歩を行けば左右に老杉あり、爰より又六七歩奥に北に向て石階あり、十六級を登りて此前に至る。
拝殿。三間に二間。
本社。二間に三間にして、茅葺也満行寺縁起、云當社鎮座の年歴は多くの星霜へ経て詳ならざれ共、祭神正八幡は本地三尊阿彌陀佛にて、行基菩薩神亀元年の作也、康平六年に社の修復あり、其比は屋根も瓦葺なりと云傳ふ、當時のものと見へて、今に此山の邊にて、古瓦の碎たるものを拾ひ得る事あり、長治二年源義家奥州征伐の時、當社へ賊魁貞任宗任等調伏の立願あり、此時本社を再造して北向に作りしより今に至りて同じ向なり、すべての神社北向なるものなし、日本國中に此社ともにわづか三社ありと云へり、されどこの寺傳年代相違せり、古書を閲るに頼義の貞任等を誅せしは、康平五年の事なり、又寛治五年に義家家衡武衡を滅す、長治は寛治五年より十五年の後也、事蹟全く合はず、縁起の妄誕しるべし。
辨天社
(除地、八幡の條下に云所の如し)八幡の山下にあり、小祠なり、勧請の年代は詳ならざれど、正保の比の田圃にこの祠を載たれば、此比は已に鎮座ありし事しるべし、是も満行寺の持。(新編武蔵風土記稿より)

新座市教育委員会等掲示による武野神社の由緒

武野神社(旧八幡社)
武野神社は明治四十一年に、栗原村の浅間社、石神村の氷川社など近郷の五社を、野寺村の八幡社と合祀して新たに建立された神社です。
武野神社のあるこの地は、古くは誉田別命を祭神とする八幡社の社地でした。
八幡社の創建年代は不詳ですが、江戸幕府が編纂した地誌書『新編武蔵風土記稿』によると、社殿の修復を平安時代の康平六年(一〇六三)におこなったと記しています。
また、源義家が奥州遠征の途中、この八幡社に立ち寄り戦勝を祈願したと伝え、その際に社殿を再造して北向きに建てたとも伝えています。
現在、社殿の東側に安置されている旧八幡社の本殿は、寛永年間の建立と伝えています。
江戸時代の初期に幕府によって作られた「正保の絵図」には、八幡社参道下の湧き水とそこに祀られる辨天社が掲載されています。(新座市教育委員会・新座市文化財保護審議委員会掲示より)

「埼玉の神社」による武野神社の由緒

武野神社<新座市野寺三-一一-三四(片山村字野寺)>
野寺の地名は当地の満行寺の通称「野寺」に由来する。
当社は八幡山と呼ばれる丘陵の山上に祀られ、その崖下に旧別当満行寺がある。満行寺は元は隣村の十二天村に所在し、その当時の様子を『風土記稿』は「その比は七堂伽藍甍をつらね、鎮守正八幡宮又白山権現・稲荷・富士浅間辨天以下三十余座の末社及び三百所の坊中僧侶充満して、念誦の聲断ざりしとぞ」と記している。いつのころか今の地に移された際に正八幡宮も共に遷座されたものであろう。八幡山の麓から湧き出る清水は古くからこの辺り一帯の耕地を潤しており、耕地の安泰を願って水源のあるこの山上に祀られたと推測される。
社伝によれば、永承六年(一〇五一)に起った前九年の役に八幡太郎義家は父の頼義に従って阿部氏の反乱を鎮めるために奥州に向かった。その途次当社に立ち寄って戦勝を祈願し、社殿を再建して北向きとした。下って寛永十五年(一六三八)に社殿を再建した際に名主村田善左衛門が銅板の棟札を寄進し、更に宝暦八年(一七五八)には地頭小野佐渡守が社殿の造営を行ったという。
明治四十一年に栗原の浅間社を始めとする八社を当社に合祀したのを機に武蔵野の「武」と野寺の「野」を採って武野神社と改称した。(「埼玉の神社」より)


武野神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿