菅沢稲荷。高崎藩家老菅谷清章から譲り受けた社
菅沢稲荷の概要
菅沢稲荷は、新座市菅沢にある神社です。菅沢稲荷は、高崎藩家老菅谷清章(法名恵山玄忠)公から、当地を菅沢村に天明2年(1783)譲り受けられ、その地内に当社を祀ったといいます。菅沢稲荷講により護持されています。
社号 | 菅沢稲荷 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 新座市菅沢2-4 |
備考 | - |
菅沢稲荷の由緒
菅沢稲荷は、高崎藩家老菅谷清章(法名恵山玄忠)公から、当地を菅沢村に天明2年(1783)譲り受けられ、その地内に当社を祀ったといいます。菅沢稲荷講により護持されています。
境内石碑による菅沢稲荷の由緒
天明二年(一七八三年)高崎藩家老菅谷清章(法名恵山玄忠)公は所有された土地を村民に託しその後菅沢村に寄贈されました。村民はその一角に稲荷神社を祀り、菅沢稲荷講を組織し、今も神事が行われています。(境内石碑より)
「新座市史調査報告書6大和田の民俗」による菅沢稲荷の由緒
稲荷神社
菅沢の稲荷神社は土地を1町歩持っていたが、昭和44年に2回に分けて売り、4反になった。神社の基本財産として300万円を定期にして預金してあり、その利息をいろいろな費用に充てている。また土地に高圧電線を通したので2年に1回そこから入金がある。土地の売却により入った金は、稲荷神社と八幡神社の修・新築にほぼ使い果たしてしまった。土地に植えてあるコナラやナラの木は、2~30年たつと薪にして売り、その金も神社の財産とした。現在の社は昭和45年頃新築したもので、それまでの祠は境内の物置小屋に移した。
神社の祭祀組織として菅沢の地区内で稲荷講が形成されている。(「新座市史調査報告書6大和田の民俗」より)
菅沢稲荷の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿