地福寺。関東百八地蔵
地福寺の概要
天台宗寺院の地福寺は、瑞應山地蔵院と号します。地福寺の創建年代は不詳ですが、尊恵上人が開基となり永延年間(987-988)に開基したといいます。また新編武蔵風土記稿では、「当寺の鐘銘によれば以前の鐘は寛文(1661-1672)年間に製作したものとあり、また近村庄忠右衛門所蔵の文書には当寺の住僧に関する記載が永禄(155-1570)年間にあった」といい、少なくとも江戸時代初期には既に寺院として成立していたと記載しています。当寺の地蔵菩薩像は、関東百八地蔵7番となっています。
山号 | 瑞應山 |
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院号 | 地蔵院 |
寺号 | 地福寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 和光市白子2-18-1 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 関東百八地蔵7番 |
地福寺の縁起
地福寺の創建年代は不詳ですが、尊恵上人が開基となり永延年間(987-988)に開基したといいます。また新編武蔵風土記稿では、「当寺の鐘銘によれば以前の鐘は寛文(1661-1672)年間に製作したものとあり、また近村庄忠右衛門所蔵の文書には当寺の住僧に関する記載が永禄(155-1570)年間にあった」といい、少なくとも江戸時代初期には既に寺院として成立していたと記載しています。
新編武蔵風土記稿による地福寺の縁起
(下白子村)地福寺
境内除地、七段九畝余、村の東北の端にあり、瑞應山地蔵院と号す、天台宗、入間郡小仙波村喜多院の末寺なり、開山開基詳ならず、総て舊記等回禄の災に罹りければ、傳ふる事跡なしと云、本尊も古は地蔵尊なりしが、彼火災の時より別に収め置、今は釈迦を本尊とせり、按に当寺の鐘の銘を見るに、古鐘は寛文年中十世の住僧珍海法印の時戌しを、後破壊しければ延享中新に鋳しと云ば、其時代古きこと推て知るべし、又此近村庄忠右衛門が所蔵の文書に、当寺の僧の事を記せり、此書は永禄中のものと見ゆれば、是等をもて思ふに舊き寺なるべし。
本堂。九間四面東向、門も同じ向ひて、前に十級余の石階有。
鐘楼。門を入て左の小高き處にあり、鐘は延享年中鋳直したれども、古銘を勒せり。(銘文省略)
光西坊。鐘楼の後墓所の側にあり、小庵なり。
塔頭。久城寺、萬正寺。以上二寺は、何の頃よりか廃寺となりて名のみ残れり。(新編武蔵風土記稿より)
地福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿