壹鑑寺。酒井壱岐守忠重が開基となり川越に創建
壹鑑寺の概要
曹洞宗寺院の壹鑑寺は、薹月山と号します。壹鑑寺は、嶺室雪大和尚(慶安3年1650年寂)が開山、酒井壱岐守忠重が開基となり川越に創建、酒井家の転封に伴い、寛永年間に当地へ移転したといいます。
山号 | 薹月山 |
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院号 | - |
寺号 | 壹鑑寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 和光市下新倉4-19-45 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
壹鑑寺の縁起
壹鑑寺は、嶺室雪大和尚(慶安3年1650年寂)が開山、酒井壱岐守忠重が開基となり川越に創建、酒井家の転封に伴い、寛永年間に当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による壹鑑寺の縁起
(下新倉村)壱鑑寺
是も金泉寺の近邊にあり、曹洞宗、近江国普化腹松寺末なり、薹月山と号す、開山は嶺室雪大和尚、開基は酒井壱岐守忠重なり、寺僧の傳に云、此寺もと川越領酒井家采邑の中にありしを、寛永年中領地を移されし時、当寺も今の地へ移すと云、斯説によれば川越にて忠重開基をなし、造立は寛永の初めなるべし、嶺室和尚は慶安三年遷化、それより第三世是心作大和尚中興す、この和尚は延宝五年寂、本堂六間四面、本尊釈迦如来を安置す。
位牌堂。本堂の後にあり、惣塗籠なり。
鐘楼、門を入り左にあり、高さ四尺、元禄中の銘あり、(銘文省略)
酒井壱岐守忠重墓。本堂の右高き所にあり、五輪の石塔、表に松厳院殿薹月一鑑大居士、慶安元子年六月念日と刻せり、忠重は備後守忠利が第三の子、始め内記台徳院殿に仕へ、本郡入間郡の中にて五百石を賜れり、寛永四年十二月二日、父忠利が所領川越にて二千石を分ち下され、壱岐守に任せりと云ふ。
(新編武蔵風土記稿より)
壹鑑寺所蔵の文化財
- 酒井壱岐守墓
壹鑑寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿