源光寺。町指定文化財の帰依仏塔
源光寺の概要
浄土宗寺院の源光寺は、宝鏡山護念院と号します。源光寺の創建年代等は不詳ながら、祐崇上人が文明5年が(1473)草創したとも、祐宗上人が永正6年(1509)に草創したとも伝えられます。慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領5石の御朱印状を受領、江戸期には上赤岩地内に3末寺を擁していました。当寺には、大きめな帰依仏塔(平安3年1301年銘)、十三仏板碑(天文4年1535年銘)などの板碑が残され、帰依仏塔は町文化財に指定されています。
山号 | 宝鏡山 |
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院号 | 護念院 |
寺号 | 源光寺 |
住所 | 北葛飾郡松伏町上赤岩1099 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
源光寺の縁起
源光寺の創建年代等は不詳ながら、祐崇上人が文明5年が(1473)草創したとも、祐宗上人が永正6年(1509)に草創したとも伝えられます。慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領5石の御朱印状を受領、江戸期には上赤岩地内に3末寺を擁していました。
新編武蔵風土記稿による源光寺の縁起
(上赤岩村)
源光寺
浄土宗、下總小金東漸寺末、古は京都知恩院の末なりしと云、寶鏡山護念院と號す、寺領五石は慶安元年より賜ふ所、當寺僧祐宗永正六年草創と云、本尊阿彌陀、安阿彌の作、前立は惠心の作、
鐘樓。明和三年の鑄造なり、
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林光寺
源光寺末、下同じ、本尊薬師行基の作、
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阿彌陀寺
本尊阿彌陀
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雲上寺
之も本尊阿彌陀 (新編武蔵風土記稿より)
源光寺所蔵の文化財
- 源光寺の帰依仏塔(松伏町指定有形文化財)
源光寺の帰依仏塔
源光寺は一説に文明5(1473)年、祐崇上人の草創と伝えられています。
この「源光寺の帰依仏塔」は、付近の畑で2つに折れていたものを移して修復した物で、虫歯を治す仏様として信仰されていました。
若干彫りが浅いものの、大川戸光厳寺の帰依仏塔(県指定史跡)とほぼ同型の板碑です。板碑は中世に限って造立された石で作られた板状の卒塔婆です。
「帰依佛」の字の下には、蓮台(蓮の花をかたどった仏の乗る台)が見え、年号も平安《弐に一》季(《弐に一》は三、季は年。1301年)と読みとれます。近距離に全く同型の板碑が2基存在することは興味を惹きます。
「源光寺の帰依仏塔」右側奥に並んでいる板碑は天文4(1535)年造立の十三仏板碑です。板碑には通常「種子」と呼ばれる梵字が刻まれ、一字が一仏を表します。一字、または脇侍を含め三字のものが多く、十三仏板碑はやや特殊な例です。同じ上赤岩にある地蔵堂には天正2(1574)年(4年とも)造立の二十一仏板碑というさらに特殊な板碑があります。(境内掲示より)
源光寺の周辺図