無量寿院。町指定文化財の地蔵菩薩坐像
無量寿院の概要
真言宗豊山派寺院の無量寿院は、香取山觀音寺と号します。無量寿院は、僧祐覺が永享2年(1430)に創建したといいます。江戸期には上赤岩地内に3末寺を擁していました。当寺に奉安している地蔵菩薩坐像は、末寺だった宝光院の旧本尊で、南北朝時代の作と推定され、松伏町文化財に指定されています。
山号 | 香取山 |
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院号 | 無量寿院 |
寺号 | 觀音寺 |
住所 | 北葛飾郡松伏町上赤岩1195 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
無量寿院の縁起
無量寿院は、僧祐覺が永享2年(1430)に創建したといいます。江戸期には上赤岩地内に3末寺を擁していました。
新編武蔵風土記稿による無量寿院の縁起
(上赤岩村)
無量寿院
新義眞言宗、下總國葛飾郡堤臺村報恩寺末、香取山觀音寺と稱す、永享二年僧祐覺草創せり、本尊不動、
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寶光院
同末、下同じ、本尊地蔵を安ず、定朝の作秘佛なり、
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等覺院
本尊不動
天神水神辨天合社
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密蔵院
本尊千手觀音
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觀音堂
十一面觀音を安ず、無量壽院持、 (新編武蔵風土記稿より)
無量寿院所蔵の文化財
- 地蔵菩薩坐像(松伏町指定有形文化財)
無量寿院の帰依仏塔
無量寿院は永享2(1430)年の草創とされています。付近にあった宝光院(既に廃寺)から本像を客仏として迎え、安置しています。この像は南北朝時代(14世紀前半から末ころ)の作と考えられ、寄木造で眼は水晶を用いた玉眼、着衣の裾から流れるように垂れ下がっているところが特徴です。このような様式を持つ仏像は衣文垂下仏と呼ばれ、鎌倉時代末から室町時代の前半にかけての約100年間ほど関東地方だけに流行したものです。鎌倉で制作され、赤岩に持ち込まれたと推測されています。
嘉元3(1305)年の古文書に名が見られる赤岩郷は、現在の上赤岩・下赤岩地区を中心に、吉川市や越谷市の一部も含んだ地域であったと思われます。赤岩郷は正慶元(1332)年には金沢貞将(鎌倉幕府15代執権、貞顯の子)によって称名寺(現横浜市の寺院)に寺領として寄進されており、他にも鎌倉との結びつきを示す古文書が残されています。無量寿院の「地蔵菩薩坐像」も、鎌倉と赤岩の関係を物語る貴重な文化財の一つです。(境内掲示より)
無量寿院の周辺図