勝呂津島神社。浅間山噴火後の疫病退散を願い勧請
勝呂津島神社の概要
勝呂津島神社は、比企郡小川町勝呂にある神社です。勝呂津島神社は、天明3年(1783)の浅間山噴火後に流行った疫病を鎮護するため、尾張国津嶋神社を勧請したといいます当初は金勝山西麓に祀られていましたが、明治15年当地へ遷座しています。
社号 | 津島神社 |
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祭神 | 手力男命、天照大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 天王様7月14・15日 |
住所 | 比企郡小川町勝呂 |
備考 | - |
勝呂津島神社の由緒
勝呂津島神社は、天明3年(1783)の浅間山噴火後に流行った疫病を鎮護するため、尾張国津嶋神社を勧請したといいます当初は金勝山西麓に祀られていましたが、明治15年当地へ遷座しています。
「埼玉の神社」による勝呂津島神社の由緒
白鳥神社<小川町勝呂三一〇(勝呂字西山)>
勝呂の人々は、その地内にある津島神社を当社同様に厚く信仰している。口碑によると、天明三年(一七八三)に浅間山の大噴火が起こった後、この辺り一帯に疫病がはやりだし、これを鎮めるために尾張国の津島神社の御師により分霊が祀られたのがこの社の創祀で、初め金勝山西麓の字矢ノ入の地にあったが、明治十五年ごろに現在地に遷座したという。明治三十一年の蚊帳献納額には「夫本社津島神社ハ往昔尾張国海東郡津島神社ノ分霊ニシテ威日ニ月ニ隆盛ナリ、而シテ歳々夏時悪疫流行ノ節ハ昼夜ノ別ナク参拝スル者多ク茲ニ蚊帳ノ必要ヲ感シ婦女相計り白地蚊帳ヲ献納セラレ(以下略)」と記されており、勝呂の人々がこの社に寄せた信仰の一端をうかがわせる。(「埼玉の神社」より)
勝呂津島神社の周辺図
参考資料
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)