腰越城跡。比企郡小川町腰越にある旧跡・名所

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腰越城跡。山田伊賀守直定・伊賀守直安親子の居城

腰越城跡の概要

腰越城跡は、比企郡小川町腰越にある名所旧跡です。腰越城跡は、標高216mの山に築かれた中世戦国時代の山城跡で、大小17の郭で構成され、周囲に竪堀・横堀が廻らされています。戦国時代には松山城主上田氏に仕えた山田伊賀守直定・伊賀守直安親子の居城となっていました。

腰越城跡
腰越城跡の概要
旧跡・名所名 腰越城跡
区分 埼玉県指定史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 比企郡小川町腰越1125
備考 -




腰越城跡の縁起

腰越城跡は、標高216mの山に築かれた中世戦国時代の山城跡で、大小17の郭で構成され、周囲に竪堀・横堀が廻らされています。戦国時代には松山城主上田氏に仕えた山田伊賀守直定・伊賀守直安親子の居城となっていました。北條氏滅亡後、山田伊賀守直安は、徳川家康に召し抱えられたそうです。

境内掲示による腰越城跡について

この腰越城跡は、槻川に三方を囲まれた天然の要害に築かれた、典型的な中世戦国時代の山城です。最高所であるここ本郭は標高二一六メートルを測り、正面(東)に向いては小川盆地方面や青山城跡・高見城跡などの山城をよく眺めることができます。
城は本郭を中心に、二の郭、西の郭、帯郭など大小十七にものぼる郭と呼ばれる平場があり、その周囲を竪堀、横堀などで区画されています。特に、寄せ手の兵士が横に走るのを防ぐための竪堀が多く用いられていることがこの城の大きな特徴です。また、「隠小口」「囮小口」と呼ばれる巧みに組み合わされた小口の造りや、本郭に至るまでの複雑な通路の配置もこの城を特色づけています。
また、この城跡には「北城山」「南城山」といった直接城跡を表す小字名や、麓には「榎木戸」といった城への入口を思わせる地名も残っています。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による腰越城跡について

(腰越村)
城蹟
西の方山丘の上にあり、廣さ五段許の地にして、構堀のあと殘れり、山田伊賀守直定が住せし所なりしと云、直定は松山の城主上田闇磔斎に仕へ、男衾郡赤濱の原に於て、道祖土圖書助が爲に討死せしこと、八ツ林村道祖土氏が蔵する文書に見えたり、其兒伊賀守直安も上田案獨斎に屬して、しばしば戰功をあらはし、天正十九年召れて、東照宮に仕へ奉る由、家譜に見ゆ、(新編武蔵風土記稿より)


腰越城跡の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」