奈良梨鎌倉街道上道跡。久米川から藤岡へ向かう幹線道路跡
奈良梨鎌倉街道上道跡の概要
奈良梨鎌倉街道上道跡は、比企郡小川町奈良梨にある名所旧跡です。奈良梨鎌倉街道上道跡は、鎌倉幕府の成立後に整備された街道跡で、久米川から当地を経て藤岡へ向かう幹線道路跡です。馬頭観音石塔が奉安されている地に小川町教育委員会掲示が置かれ、馬頭観音石塔から(道のない山林をぬけて)普済寺方向へ直線状に街道が敷かれていたそうです。また、戦国時代には当地に宿駅が設置されていたといいます。
旧跡・名所名 | 奈良梨鎌倉街道上道跡 |
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区分 | 小川町指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 比企郡小川町奈良梨 |
備考 | - |
奈良梨鎌倉街道上道跡の縁起
奈良梨鎌倉街道上道跡は、鎌倉幕府の成立後に整備された街道跡で、久米川から当地を経て藤岡へ向かう幹線道路跡です。馬頭観音石塔が奉安されている地に小川町教育委員会掲示が置かれ、馬頭観音石塔から(道のない山林をぬけて)普済寺方向へ直線状に街道が敷かれていたそうです。また、戦国時代には当地に宿駅が設置されていたといいます。
境内掲示による奈良梨鎌倉街道上道跡について
鎌倉街道上道跡
いわゆる鎌倉街道とは、鎌倉幕府の成立後に、関東各地をはじめ信濃・越後・奥州などの諸国と鎌倉を結ぶための道として整備されたものです。このうち上道は、久米川(東京都東村山市)から入間川(狭山市)、毛呂(毛呂山町)、菅谷(嵐山町)、奈良梨、塚田(寄居町)、児玉(本庄市)を経て藤岡(群馬県)方面に向かう主要な幹線道路です。
丘陵から低地におりるこの場所に掘割状の道路遺構がみられます。
正安3年(1301)の『宴曲抄』には鎌倉から信濃に至る地名が詠み込まれていますが、その中に「ならぬ梨」とあり、奈良梨が道筋に位置していました。また、永享10年(1438)の鰐口に「奈良梨宿」とあるほか、戦国時代には宿駅が置かれていたことがわかっています。(小川町教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による奈良梨鎌倉街道上道跡について
(奈良梨村)
・・・村内に係る一條の街道は西上州及兒玉郡八幡山邊への通路にして、人馬の繼場なり、爰に宿驛を置し其始めは定かならざれど、村民仙右衛門が持傳へし、天正十年北條家より、當所へ出せし傳馬の掟書あれば、天正の頃は既に繼場たりし事しらる、・・・(新編武蔵風土記稿より)
奈良梨鎌倉街道上道跡の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」