下横田の百庚申。下横田村講中が中心となり嘉永2年に建立
下横田の百庚申の概要
下横田の百庚申は、比企郡小川町下横田にある名所旧跡です。下横田の百庚申は、庚申の日の夜に集まって一夜を明かす庚申講により造立された庚申塔群で、嘉永2年(1846)に地元下横田村講中を中心に、近隣の村々の者によって建立されたもので、稲荷社に向かって一列に100基並べられています。
旧跡・名所名 | 下横田の百庚申 |
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区分 | 小川町指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 比企郡小川町下横田 |
備考 | - |
下横田の百庚申の縁起
下横田の百庚申は、庚申の日の夜に集まって一夜を明かす庚申講により造立された庚申塔群で、嘉永2年(1846)に地元下横田村講中を中心に、近隣の村々の者によって建立されたもので、稲荷社に向かって一列に100基並べられています。庚申の日は60日毎にありますが、大型の庚申塔の場合、庚申年(60年に一度)などの記念に造立されることが多く、小型とはいえ100基集まるのは、石材(下里地内で産出する緑泥石片岩)が入手しやすかったことも要因と思われます。
境内掲示による下横田の百庚申について
下横田の百庚申
十干十二支の組み合わせで60日に一度めぐってくる庚申の日に、その夜を眠らずに過ごして長寿を願う信仰がある。これは夜に寝ると、人の体内にいる三尸の虫が体内を抜け出して、天帝いその罪科を告げて寿命を縮めるという中国の道教の信仰に由来するもので、日本では平安時代から行われている。庶民の間に広まるのは江戸時代になってからで、三尸の虫は人が眠らないと抜け出せないとされており、講中の仲間が集まって誦文を唱えたり飲食、歓談をして一夜を明かす庚申講、庚申待と呼ばれる行事が行われるようになった。その供養の証として、講中や個人によって庚申塔が盛んに建てられた。
下横田の百庚申は、嘉永2年(1846)に地元下横田村講中を中心に、近隣の村々の者によって建立されたもので、稲荷社に向かって一列に100基並んでいる。こうした百庚申は大字青山地内でも確認されており、ともに大字下里地内で産出する緑泥石片岩によってつくられているなど、近世の信仰のモニュメントとして資料的価値も高い文化財である。(小川町教育委員会掲示より)
下横田の百庚申の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」